土合村の由来を知ろう!
旧土合村役場跡石碑の特徴
南元宿の土合村は明治22年に合併を実現した場所です。
大きな石碑が存在し、土合村の由来が詳しく記されています。
JAの事務所や土合小学校前に近く、アクセスも便利です。
「土合」はいまや地名に残るのみ。裏面に歴代の尊重と、村の歴史の一部始終が簡潔に記載れている。
JAの事務所、土合小学校前バス停のところに大きな石碑が立っているだけの場所なのですが、後ろに回ると、土合村の由来が書いてあります。南元宿、西堀、関、鹿手袋(しかてぶくろ)、田島、新開(しびらき)、道場、町谷、栄和、中島、山久保、という11の村を合わせて、十一=土、合わせて、土合ということだったんですね。村ができたのは明治22年だそうです。名前のもとになった各地名はそのまま残っています。昭和30年に浦和市と合併したそう。この碑が立ったのは昭和63年だそうです。
名前 |
旧土合村役場跡石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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碑文 土合村は、南元宿 西堀 関 鹿手袋 田島 新開 道場 町谷 栄和 中島 山久保の十一村を以って、各村民の合意により、明治22年4月1日円満に合併を実現した。その名も、十一を合わせたことをかたどった土合村に決定した。 以来約70年間幾多の苦難を乗越えながら歴代村長は村民とともに平和で豊かな農村をよく築き上げた。しかし昭和20年代も後半になると、目に見えない時代の変化のうねりは、世帯数壱千戸、人口五千五百程の小さな我が土合村を一気に飲みこんだのである。 折からの空前の経済発展期において隣接した浦和市は積極的に合併を促した。このような情勢下の中で村議会は村の発展を熟慮し浦和市との合併に踏み切るに至った。時、昭和33年1月1日のことである。土合村役場の使命はこの日をもって終了した。それと同時に浦和市土合支所として再成、今日に至る。その懐旧の情、禁じ得ず、70年間所在したこの地に碑を建て記念とする。 なお、昭和23年土合農業組合が、此の地に事務所を置き、活動をして40年を経過、時代の変遷により組合員の付託に応えるべく、市内6農協が合併し浦和市農業協同組合土合支店として、昭和63年4月1日、再発足することを併せて記念とするものである。