奈良の歴史、元興寺の桜跡。
史跡元興寺塔跡の特徴
奈良時代に遷都された元興寺の歴史を感じさせる遺跡です。
現在も宗教活動を続ける、由緒正しい寺院の一角です。
巨大な塔跡の土壇と礎石が残り、奈良の名所として訪れる価値があります。
元興寺の塔跡の礎石が残っています。往年の繁栄を忍ばせる場所。花の寺。桜、チューリップ等色とりどりの花が咲いていました。どなたがお世話されているか解りませんが、ありがとう。場所は御霊神社の裏手です。
ならまち内にはかつて大きな広い境内を持つお寺だった元興寺の一角を見れる場所があちらこちらにありますね。ここでも元興寺の御朱印をいただけるようです。
桜が綺麗やったー🌸大きくて立派やった‼️手入れがキチンとされていて、素晴らしかったです🎵奥に狐の飾りが沢山有りました。
入口、地図では分かりにくいですが、地図に示されている場所の西側が入口です。(下写真)
「上つ道/万葉の道」巻二十四の一の五 奈良市芝新屋町元興寺 塔跡(がんごうじ とうあと)元の法興寺が平城京遷都に伴い中心部に遷された時、その寺域は東大寺や興福寺と肩を並べることのできる大伽藍を有していたということです。南北4町(約440メートル)、東西2町(約220メートル)と縦に細長い形の寺域でありました(画像中の銅板パネル参照)。今の「奈良町(ならまち)」と称される地区の大部分が元は元興寺の境内であったのです。室町年間に落雷や一揆の戦火に遭い、その伽藍からは少しずつ建造物の一部が焼失してしまったり、全焼で再興されなくなったりで寺域は縮小され、極楽院(現 極楽坊)と五重塔などは分断され明治以降は住宅と路地などが再興され、現在の形でその姿を遺しているのです。こちらの塔跡の境内には「塔跡の礎石(塔心礎)」「元興寺石造寺標」「啼灯籠(なきとうろう)」「万葉歌碑」などがあり、見ごたえはあります。
奈良時代に平城京遷都で飛鳥の地から遷った元興寺の塔があった場所で、現在は巨大な塔跡の土壇と礎石が残り、境内の片隅の小さなお堂が建っています。国指定史跡です。有り難く大和北部八十八ヶ所霊場第5番の御朱印、”南無佛”を頂きました。
塔跡は世界遺産ではありません。世界遺産は元興寺「極楽坊」です。両者は現在、塔跡は華厳宗(東大寺の末寺)、極楽坊は真言律宗(西大寺の末寺)です。入口は少し分かりづらい場所にあります。御霊神社の左隣にある細い道です。塔跡には今は礎石が残るのみです。焼損前の姿は、極楽坊の法輪館(収蔵庫)に収められている「五重小塔」によって知ることができます。奈良時代には、寺院を除いて平屋建ての建物しかなく、東大寺(七重塔)や西大寺、興福寺、元興寺などの五重塔が林立する様子は、さぞ壮観だったと思われます。
塔の礎石が残るばかり。ちょうど萩が咲き始めで、歴史を思わせる風情に溢れていました。ならまち観光の時には立ち寄られると心が落ち着きますよ。
世界遺産になるくらい由緒正しい寺院ですが現在もシッカリと宗教活動をしてます。頭が下がりますね。
名前 |
史跡元興寺塔跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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現在は五重塔の塔跡のみが残りますが、ならまちの中にひっそりと或る古刹は、静かな心持ちにさせていただけます。