静寂に包まれた江戸の聖地。
寛永寺の特徴
江戸幕府の庇護を受けた由緒ある天台宗の寺院である。
根本中堂は立派な建物で、静寂の中で気持ちが清浄される。
御朱印は本堂内で丁寧に書き入れられるとの口コミが多い。
寛永寺:江戸幕府の庇護を受けた由緒ある寺院寛永寺は、徳川家光によって創建された天台宗の寺院です。江戸城の鬼門にあたる上野に位置し、「東の比叡山」と称されました。江戸幕府は、寛永寺を国宝寺と定め、庇護しました。天海大僧正が寺務を司り、幕府の宗教政策の中心的な役割を果たしました。寛永寺は、幕府の権威を示す象徴的な存在であり、多くの寺社を傘下に収め、江戸の文化・宗教の中心地として栄えました。境内には、本堂、五重塔、清水観音堂など、多くの堂宇が立ち並び、見事な庭園も整備されていました。特に、清水観音堂は京都の清水寺を模して建てられ、江戸の人々に親しまれていました。しかし、明治維新後、神仏分離令により衰退し、明治維新末期には上野戦争で大きな被害を受けました。現在は、かつての面影を残しつつ、静かに佇んでいます。
今回で3度目の立ち寄りです。谷中にお墓参りに行った帰りに寄りました。今回は徳川切り絵御朱印がお目当てです。根本中堂は改修工事中の為見れませんでしたがお参りさせていただきました。その後、社務所隣にある場所で徳川切り絵御朱印を頂きました。インスタグラムで見ていたので知ってはいましたが実物を見た途端、鳥肌立ちました…。どーやったらこんな風に出来るのか?とか思いながら見てしまいました。素敵な御朱印を頂き感謝です。また谷中に行った際は寄らせて頂きたいと思います。
天台宗の別格大本山、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門に天海大僧正によって建立された我が国随一の大寺院です。参拝した時は根本中堂を改修していましたので外からお参りしました。社務所で御朱印を頂きました。
昨年11月22日(水)に撮影。寛永寺ホームページ:寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
現在の寛永寺は、幕末、大部分の建物が焼失し寺領も減らされ縮少したかたちで存続している姿のようです。1625年天海大僧正により創建した当時は、上野公園噴水から不忍池を含めた国内最大の寺領を誇る寺院だったそうですが、大都会東京の現代建築により全く面影はありません。上野清水堂に遺る松の枝の輪っかくらいが面影といえばいえそうです。現在の寛永寺は縮少したとはいえ、普通のお寺よりははるかに大きな立派な寺院で、比叡山とおなじ根本中堂が迎えてくれます。その根本中堂の奥、墓地の横には徳川綱吉霊廟勅額門や石垣があり、史跡感も味わえます。御参り散策するにはひと気も少ないのでゆっくり出来ると思います。
本堂に上がってお参り出来る寛永寺根本中堂に参拝🙏御朱印も本堂内で、丁寧な対応で書き入れ御朱印を頂くことが出来ます。
寛永寺の根本中堂(本堂)ですが、上野公園から少し離れているせいか、清水堂などと比べると来訪者は少ないです。元々の建物は戊辰戦争の時に消失したため、現在の建物は川越から移築したものになります。訪問したのは2023年の1月3日で、この日と3日に特別参拝として寺宝と徳川家の歴代将軍肖像画(油絵)が公開されます。※特別参拝については寛永寺のHPをご確認ください。
根本中堂の特別拝観にうかがわせていただきました最寄りは鶯谷駅となります。
駐車場有ります。御朱印買いました。夕方近くだったのでとても、静かでした。近くに幼稚園や、学校があるので昼は、賑やかだと思います。
名前 |
寛永寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3821-4440 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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天気が良かったので、足を伸ばして上野東照宮と寛永寺に行って来ました。