歴史を感じる看板巡り。
塩硝蔵地跡の特徴
土地の説明看板があり、歴史を学べる場所です。
見渡すと、塩硝蔵地跡の歴史を感じます。
静かな雰囲気で、ゆっくりと散策できます。
「えんしょうぐらちあと」と読む。この地は江戸時代なかばから大正時代末まで、火薬・弾薬の集積保管場所であった。遺構は盛土のみ確認できる。解説板あり。1750年代、宝暦年中に設置され1920年代、大正末期まで、塩硝蔵→火薬庫と名前を変えて存続した火薬・弾薬の保管庫。現在その敷地は明治大学和泉キャンパスおよび、築地本願寺和田堀廟所となっている。(2022-09)
土地の説明看板があるので読んで見渡すと歴史を感じられます。
明治大学沿いにあります。ひっそりとしていて見逃しやすいです。
塩硝蔵跡だと知る前は玉川上水の土手だと思っていた。子供のころ土手の上を歩いて本願寺に行った覚えがある。いまは見えないが塩硝蔵跡の向こう側がすぐ玉川上水。いまは甲州街道の歩道の脇にあるが昔は甲州街道がいまより道幅が狭かったため甲州街道からは見えなかった。土手作りに祖母が土運び人足として働いたらしい(昭和初期?)。土は明大前駅の南側、井の頭線の東側から運んだらしい。土を取った跡が自動車教習所になった。今はマンションになってそこだけ低くなっている。
この辺りは江戸幕府の鉄砲弾薬などの貯蔵庫があった場所だそうです。敷地は62000平方メートル。今は明治大学と和田堀廟所になっています。
| 名前 |
塩硝蔵地跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007877.html |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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2023年12月1日13:20訪問:何十回となくここを通っていたのに、不覚にもこの看板に待った気が付いて居なかったです。この蔵の銃や火薬を使って、彰義隊や東北諸藩の制圧に使われたと言います。甲府で新政府軍と幕府軍の衝突があった後、ここを制圧したのは新政府軍であったことも勝利の一つの要因であったのかも知れません。