松尾芭蕉終焉の地、歴史触れる御堂筋。
芭蕉翁終焉の地の特徴
御堂筋の緑地帯に立つ松尾芭蕉の終焉の地の石碑です。
大阪の中心で俳聖の最後を示す、歴史的な場所です。
亡くなった場所に建つ石碑は昭和9年建立の小さなものです。
奥の細道でも有名な俳人、松尾芭蕉がこの付近で最期を迎えたことを示す石碑です。大阪を代表するメインストリート“御堂筋”の本線と側道との間にある分離帯の中にポツンと建てられているので、普通に歩道を歩いていると見落としてしまうか、あるいは気付いても何の石碑か分からないまま通りすぎてしまうような状態です。近くで見るためには側道を渡る必要があるため、車には十分注意してください。御堂筋をはさんで反対側(西側)には“真宗大谷派難波別院”、通称“南御堂(みなみみどう)”というお寺があり、そちらの境内には松尾芭蕉の辞世の句「旅に病で ゆめは枯野をかけまはる」が刻まれた句碑があります。
御堂筋の緑地帯内にぽつんと建つ、芭蕉終焉の地の碑です。松尾芭蕉が倒れたとされる土地で、お墓は滋賀県大津市の義仲寺にあるとのこと。松尾芭蕉は江戸時代の俳諧師で、数々の名作を残しています。代表作に「奥の細道」があり、日本の風景や四季を詠んだ句が多数含まれています。また、俳句の中でも五・七・五の調和のとれた作品を多く残し、日本文化の重要な遺産として評価されています。そんな松尾芭蕉の倒れたところが、こんな御堂筋の大通りに建ってるなんて。ぜひ一度目を向けてみてください。
芭蕉翁終焉の地グーグルマップで知りました‼️知りえて良かったです‼️南御堂にも石碑が奉られています。旅に病んで夢は枯野を駆けまわる夢を馳せるその想いに頭がさがります🌾🌾🌾
大阪は御堂筋の側道の緑地帯に松尾芭蕉翁の終焉の地の石碑がたっている。墓は全国にあるが、松尾芭蕉が大阪で亡くなった事を知る人も少ない。旅を生活の常とし、心に残る情景や風情を俳句に残した芭蕉が車行き交う側道沿いに終焉の碑があるのもこれもまた面白い。
食事の後、御堂筋に出るととっても綺麗でした。昔よりもイルミネーションがパワーアップした様な?⁉︎皆さん写真を撮られていました。
終焉(しゅうえん)の地に立ちて想うのは、『旅に病で ゆめは枯野を かけまはる』終焉の地を忠実に示す碑なのですが、俳聖の偉大度と後世への貢献度を勘案すると、正直「えっ、ここ? これだけ?なの?」と驚きました。御堂筋を渡った西側の南御堂には芭蕉(ばせを)の句碑があります。南御堂の池に、蛙がいないか探しましたが、そもそも池が見当たりませんでした。『古池や かわず(蛙) 飛び込む 水の音』近くの難波神社でセミが鳴いていました。『閑(しず)かさや 岩にしみいる 蝉の声』翁の石碑にもきっとしみいるのでしょう。三重県の上野城(少し離れてますが)城下に生家があります。
都会のど真ん中に立地しています。意外なところにあるので見過ごしがちです。御堂筋沿いなので、見学の際は車に気をつけてください。
亡骸は滋賀県大津市の義仲寺に葬られている。松尾芭蕉終焉の地松尾芭蕉は1694年(元禄7年)10月12日、ここにあった花屋仁左衛門の貸座敷屋敷で51歳の生涯を閉じた。その遺骸は遺言通り大津の「義仲寺」に葬るため、門人たちにより淀川をのぼり義仲寺へ運ばれ、 木曽義仲の墓の隣りに埋葬された。
石柱があるだけで、せつめいが無いのが残念でした。
| 名前 |
芭蕉翁終焉の地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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俳句のことをあまり知らない小職でも知ってる超のつく有名人ですがその終焉の地が大阪のメインストリートにあると知る人がいったいどれほどいるんやろうななんか…カッコいい人ですな。