歴史を感じる川除地蔵尊。
川除地蔵尊の特徴
川除地蔵尊は泰雲山瑞龍寺に属する佛堂です。
故小林京作翁から伝わる由来に歴史を感じます。
水道町のしばきりとして知られるお地蔵さまです。
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なかなか歴史的なお地蔵さまです。
名前 |
川除地蔵尊 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
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説明書よりーーー川除地蔵尊由来水道町の川除地蔵尊は、 井宮町にある泰雲山瑞龍寺の所属佛堂でありますが、 水道町の「しばきり」即ち、最初から居住者であるといわれる、 故小林京作翁から私がきいた、川除地蔵尊の由来は次のとおりであります。今を去る八百二十年位前のこと、その年の九月九日(初九日十九日 (中の九日)二十九日(九日)と三回にわたり、安倍川に大洪水がありました。その時は、いわゆる「イノコナグラ」といわれる激流がうづまき、堅固であった一番水道の堤防も刻々危険に瀕しました。時の水利方役人松岡萬は、地蔵尊の佛体を茲につつんで堤防の上に安置し、治水を祈しながら人を督励して、防水に専念していました。附近の住民はもとより、安倍川流域の、殊に一番水道より灌漑用水を取り入れて居る農民達は非常に心配して地蔵堂に集まり、連日連夜その対策に協議を重ねました。しかしこの度重なる大出水に対しては施す術もなく、拱手傍観途方にくれて居りました。そこへ、一人の老僧(俗に六部さん)があらわれ、「此の大難儀お察し申す、拙僧もはや老齢ゆえ、安倍川流域の人々のために人柱となってこの堤防を守り治水永久のご安泰を祈り申そう」と申し出て、念佛をとなえながら従容として堤防の中に埋りました。その老僧が唱える念佛の鐘の音は、それから七日七夜、堤防の中から消えなかったといわれます。これに力を得た水利方を始め、衆人一体となっての防水作業が効を奏し、ついに事なきを得ました。この地蔵尊は、それ迄は厄除地蔵尊として、地方の信仰が厚かったが、それ以来川除地蔵尊として人の信仰の的となったと云うことです。現在のお地蔵様の尊体には、 其の背面に「宝永四丁亥天二月吉日」と刻まれてあります。即ち、今を去る三百十二年前、中御門天皇の御代に再建されたものであります。令和二年八月二十四日 文 故 杉山禎四郎翁水道町地藏尊念仏衆一同。