加賀百万石の歴史を知ろう。
1858年、大飢饉となり、領民が卯辰山で、お城の藩主に「ひもじいわぃ」などと2000人以上が声をあげたところ、願いはかなえられ、藩の米が与えられたり、米の値段も下げられたりした。しかし、直訴は罪であり、今後、このようなことが起こらないように見せしめとして、七人の人物が捕らえられ、牢死したり、処刑されたりした。残った人々は七人のことを忘れないため、稲穂を抱いた七体の地蔵を安置し、常に拝んでいるということである。
名前 |
七稲地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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華やかなイメージの加賀百万石の、隠された残酷な歴史を知るうえで、見ておくべき場所だと思う。