草壁皇子の伝承漂う古墳。
束明神古墳の特徴
春日神社にひっそり佇む、草壁皇子の伝承が息づく史跡です。
直径20m・高さ4mの円墳が特徴的な古墳で魅力的です。
奈良県立橿原考古学研究所内に位置する復元石室も見どころです。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の敷地内に東明神古墳復元石室があります。
2019.12.14訪問 春日神社境内に直径20m・高さ4mの円墳状の墳丘が有ります。墳丘は八角墳。横口式石槨、石槨長3.1m、幅2.1m、高さは復元高2.5m。床面のみ漆喰が1㎝の厚さで塗られていた。石槨の南側の入口部分に幅1.7mの墓道が検出されている。(石槨に棺を入れた後、埋められていた)横口式石槨の復元は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の入口右側に展示されています。 春日神社の八角墳行くには約100段の石階段を上ります。「佐田ふる里館」の駐車場を借りました。此処から約300m程の距離に春日神社の階段入口に着きます。
ここは天武天皇の子、草壁皇子の陵墓ではないかといわれる古墳です。神社の境内にあり、神寂びた境内を守るご老人がいらしたので詳しくお話を伺うことができました。 左の狛犬の足元にいる子犬(?)が玉を持っているたいへん珍しいもの。
束明神古墳は7世紀末の古墳時代末期の古墳とされる。墳丘は尾根斜面を造成し平坦面を造り、そこに一辺36メートルの八角形の方墳で版築工法で築造されている。古墳の被葬者は過去の調査で採取された歯により青年者か壮年者位と見られる。天武天皇と持統天皇の皇太子であった草壁皇子が最有力視されている。見学するには村の墓場の横を通り、春日神社の石段を上がった所にあるけど、お墓の横を通るのは少し気味悪い。夕方厳禁!出るかも???
発掘されて以来閑散とした場所になってしまいましたちょっとイマイチわからないところにはあるんですけど?
すぐ南に岡宮天皇陵(草壁皇子墓)がありますが、こちらが本当の草壁皇子の墓ではないかと言われています。発掘時に若干の被葬者の歯牙と木棺の破片とみられる漆膜片や釘が50本以上みられた。幕末に同古墳が草壁皇子の陵墓に比定されるという話が伝わり、陵墓指定のために土地を奪われることを恐れた地元の人々が意図的に破壊したとする伝承があるらしい。鬱蒼とした森の中、長い階段を上がっていくと春日神社となっており、碑がぽつんとあります。近くに佐田ふるさと館があり、車はそこに停められます。
草壁皇子の墓ではないかと言われています。草壁皇子は天武天皇の子で、後を託されましたが、即位することはなく若くして崩御しました。妻は第43代元明天皇、子に第42代文武天皇、第44代元正天皇がいます。
本来の岡宮天皇(草壁皇子)陵ではないかと、思われている古墳です。他の方も指摘されてますが、これと言った場所説明もなく、荒れ放題と言った感じが否めません。岡宮天皇陵が宮内庁管理で整備されているのとは対照的ですね。駐車場も無いので手前の広い道に路駐して歩きました。
標識が地面に倒れているところがあり、復旧していない。古墳にたどり着くまでが、とにかく説明不足。車が入れるとか、駐車場はここ、などの案内も全くなし。実に不愉快でした。
名前 |
束明神古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.town.takatori.nara.jp/contents_detail.php?frmId=41 |
評価 |
3.4 |
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春日神社の本殿に向かって右側にひっそりとありました、草壁の皇子の伝承や村人についての伝承などを想像しながらだと小説が書けそうなくらいソクゾクしますが、そうでないとただの荒れた神社です。