静かに供養する織田家の墓所。
織田信雄公四代供養塔の特徴
織田信雄公の家系4代の供養塔が魅力的です。
ひっそりとした長谷川邸跡に位置しています。
大和宇陀松山藩主の歴史を感じられる場所です。
長谷川邸跡にひっそりとありましたので、見過ごしてしまいそうです。立札には、織田信雄公四代供養塔初代藩主織田信雄(戒名:徳源院殿実巌常眞大居士)、寛永7年没、享年73歳・4代織田信武(戒名:圓明院殿定岩宗恵大居士)、元禄7年没、享年40歳・3代織田長頼(戒名:徳雲院殿回岩宗頂大居士)、元禄2年没、享年70歳・2代織田高長(戒名:瑞泉院殿一岩宗徹大居士)、延宝2年没、享年85歳。と書かれています。
織田信雄公四代供養塔です。
メインルート(パンフレット)には入っていませんでした。
大和宇陀松山藩主の織田家の墓所。信長の次男信雄が初代藩主。御家騒動で4代で廃藩となり、丹波柏原藩に転封となりました。ここの墓所は、その時に宇陀松山の徳源寺から、安土総見寺に移された墓所といわれています。
ひっそりと供養塔が並んでいます。案内も少なく、寂しさを感じるスポットです。
名前 |
織田信雄公四代供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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信長次男の家系4代の供養塔2023年5月上旬に行きました。信長の次男信雄が関ヶ原の戦い後に宇陀松山藩の藩主となってから1695年に丹羽柏原藩に移封になるまでの4代の藩主の墓碑を織田家の菩提寺である摠見寺に供養を懇願し、徳源寺(宇陀市)にあった墓碑をこちらに移したそうです。