伏見城総構えの貴重な土塁。
栄春寺の特徴
伏見城の総構えが唯一現存する貴重な遺構です。
ご住職の米澤師が運営する雰囲気あるお寺です。
境内に休憩用の東屋があり、訪問者を迎えます。
伏見城惣構土塁が唯一現存する。東西80m、南北10〜40m、高低差6〜7mの大土塁である。惣濠は完全に消滅しているが、窪地となって残存している。
ご住職の米澤師は、茶道家としても素晴らしい方で、その雰囲気が、お寺の空気感となっています。
20/10/14参拝。1568年、京・伏見で最初の曹洞宗寺院として勅特賜昼光錦禅師孝蒲伝和尚によって開かれた。秀吉が建てた伏見城総構えが境内奥の墓地に残っている。山門は伏見城から移築されたもの。観光寺ではないので、閑散としていたが、凛とした空気感が流れていた。
昔剣道習ってました。今はやってないのかな。
栄春寺は伏見で最初の曹洞宗寺院。入り口の総門は伏見城の遺構(京都市情報より)で、境内奥にある墓地は、かつての伏見城下町の惣構えの土塁の遺跡があり、しっかりと立派な石垣が残っています。この土塁の上に墓地が形成されています。数少ない伏見城の痕跡を確認できる貴重な存在です。すぐ近所に長年住みながら知りませんでした。
豊臣秀吉の伏見城総構えの唯一原型が残っている土塁があります。境内北側の墓地が周囲の二階建て住宅より高くなっています。土塁の東端から昭和に建てられた天守閣が望めます。
伏見城総構えの土塁が見ものです。
境内に休憩用の東屋がある。
今日はお彼岸の法要に行ってきました。
名前 |
栄春寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-641-2070 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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豊臣秀吉公の隠居城として1592年文禄元年に建てられた伏見城🏯の総構え(城の周りを堀や石垣で塀をつくり囲む土塁)として造られた大変貴重な石垣遺構が、ここ栄春寺にのこってます。京都伏見にある曹洞宗の寺院です。伏見城の門の遺構もあります。観音堂は非公開ですが、関ケ原の戦いの前哨戦で徳川家として守っていた鳥居元忠氏と石田三成公側との戦いで亡くなった戦人の倒れた跡が残る血天井がはられています。伏見城の戦いは、鳥居側2000人.石田三成側4万人の戦いでした。約14日で城は落ました。徳川側からは14日石田三成側を止め関ヶ原の戦いへ戦人を遅らせたと言われます。この時家康は上杉氏の討伐にいくので、余り戦力を伏見城に残せなかったことを鳥居氏に詫びています。戦後暫く伏見城はそのままになってましたが、後に家康が不憫に思い鳥居氏を供養する為京都の行くつかの寺に踏まれない天井に伏見城の床板を貼らせたといい伝わっています。京都にある血天井は、東山区の養源院(ここの山門は伏見城の遺構)、北区の源光庵、正伝寺、左京区の宝泉院、右京区の天球院、宇治市の興聖寺に現存しています。また、血染めの畳は、江戸城伏見櫓に納められています。家康は、江戸城を訪れた者に元忠の忠誠を讃えています。明治維新の後は壬生藩鳥居家に下げ渡され元忠を祀る精忠神社に埋納されています。アクセスは京阪本線墨染駅🚉下車、徒歩5分です。