気比大神の御神徳で必勝祈願。
末社 氣比社の特徴
令和二年に参拝した石清水八幡宮内の小祠である。
氣比社は由緒ある神社で御祭神を祀る重要な場所です。
福井県敦賀市の氣比神社が大元に関わる特別な神社です。
石清水八幡宮拝殿の脇に建っている末社「まっしゃ=本社の御祭神の后神、御子神、荒御魂、社地の地主神、その他、特に由緒ある神以外を祀っている神社、枝社(えだやしろ)とも呼ばれる」である。本殿北側の若宮殿社近くにある、氣比(けひ)社の御祭神は越前国一宮・氣比神宮の主祭神から分霊された、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)であり、気比大神(けひおおかみ)・御食津大神(みけつかみ)とも称される海の神・食物の神で、海には航海安全と水産漁業の隆昌、陸には産業発展と衣食住の平穏に御神徳があるとされている。また、別名・気比大神の、ケは食物を意味し、ヒは霊妙を意味するとも伝えられている。日本書紀によると神功皇后(じんぐうこうごう=14代・仲哀天皇の皇后)摂政13(375)年、神功皇后軍の大臣「おおきみ=王権に従う大夫(たいふ、だいぶ、たゆう=五位以上の男性官吏を指す称号)を率いて大王(天皇)の補佐として執政を行った」・武内宿禰(たけうちすくね)が神功皇后の御子(15代・応神天皇)が立太子(りったいし=天皇の皇子等を跡継ぎとして太子に立てること)の時、御子を連れて高志前国(こしのみちのくに)=越国(こしのくに)の角鹿(つぬが=福井県敦賀市)にやってきた時、夢に現れたという神様である。伊奢沙別命が御子と互いの名前を交換しようと持ち掛けたところ、武内宿禰はそれを快諾し、御子は伊奢沙別命から誉田別尊(ほむたわけのみこと)という名を賜り、御子は伊奢沙別命に御食津大神と名付けたそうなのである。社殿は朱塗りの一間社流「いっけんしゃながれ=桁行(正面)の柱間が1間(柱が2本)」の流造【ながれづくり=本を伏せたような形の屋根を持つ切妻造り「きりづまづくり=2つの傾斜面が山形になっている形状の屋根のこと、また、そのような屋根を持つ建物のこと。 切妻屋根・きりづまやねとも呼ばれる」で、出入り口は屋根の棟と平行する壁に設けられる平入(ひらいり)である。】の見世棚造り(みせだなづくり=極めて小規模の社殿で、土台の上に組まれ、正面に階段のないもの)で、檜皮葺き(ひわだぶき=屋根葺手法の1つで、檜の樹皮を用いて施工する、日本古来の歴史的な手法)が用いられている。
気比社御祭神 気比大神御神徳 必勝。
2017.01.24. コレまで幾多参拝 (奈良斑鳩人)氣比社の御祭神は 伊奢沙別命(イザサワケノミコト) 又は気比大神(ケヒノオオカミ)と称され 福井県敦賀市にある 氣比神社が 大元であり 応神天皇のとの関わりが深いトノ事です。
名前 |
末社 氣比社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-981-3001 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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令和二年 京都初秋の旅 10月4日石清水八幡宮 末社氣比社気比社(ケヒ・築垣内北東隅・永正2年1505鎮座)--祭神:気比大神水若宮社(摂社)の左にある小祠。祭神・ケヒ大神(別名・イサザワケ命、オオトモワケ命)は、福井県・敦賀にある気比神宮(式内社)の主祭神で、北陸地方における海上交通の要衝であった敦賀に、古くから坐す神。気比神社伝承では、朝鮮半島諸国と緊張関係にあったとき即位早々の仲哀天皇が参詣し、また朝鮮出兵前の神功皇后が訪れて戦勝を祈願した。そのとき同行の玉妃姫が神憑りして勝利を予言したので、出兵に成功して凱旋した皇后はホムタワケ皇子らを従えて参詣したという。