八丁堀の歴史に触れて。
八丁堀跡(桜川跡)碑の特徴
八丁堀は川をつなぐ運河の名前で、歴史を感じさせます。
同心たちが住んでいた町の名残を楽しむことができます。
時代劇の台詞に登場する場所で趣を感じられます。
今はその面影はありません。かつては、海口より凡そ八丁(870m)なるを以ってこの名ありと書かれています。『京橋区史より』
時代劇の台詞でよく聞こえてくる「八丁堀」は同心の俗称だったり、同心たちの住んだ町の名前に転じたりしてますが、もともとは舟を通すために川と川をつないだ堀(運河)の名前です。昭和30年代頃には全部埋め立てられて堀のあった場所は今は公園になってます。後の時代に名前が桜川になったので公園の名前にも八丁堀は残ってなくて桜川公園。八丁堀辺りに住居があった同心(江戸時代の警察官)たちの町の面影は八丁堀駅周辺には残ってないんですよね。
八丁の掘り割りがあったらしい。この名は時代劇ならよく耳にしますよね。北町や南町奉行所勤めの同心や与力の御用屋敷があったそうだ。娯楽時代劇だと大岡越前や遠山の金さんが悪人を裁く姿が描かれてるが、町奉行は都知事のような役割があり、悪人を裁くのは与力だったらしく、地位的には与力が上になるそうだ。
通っただけですやん。
| 名前 |
八丁堀跡(桜川跡)碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
|
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うん、公園だね……。遺跡みたいなのを想像すると萎えるよぉ……。江戸時代知りたいんなら、東京より愛知に来てな!!愛知ゆうても三河の方にな!!