大類伊勢守築城の地で歴史を感じる!
大類城本丸跡の碑の特徴
大類城本丸跡の碑は大類伊勢守が築城した史跡です。
歴史的背景を持つ大類城で歴史に触れられます。
長野氏配下の武将ゆかりの地で、特別な体験が得られます。
こちらは、長野氏配下の武将であった大類伊勢守が築城したと言われています。大類氏は武蔵七党の一派である児玉党の流れを汲んでいるそうです。児玉行重が秩父重綱の養子となり、その曾孫に当たる行義が、この地に土着し大類氏を称したといいます。大類は「大流井」であって、井野川の氾濫原から名づけられたともいいます。その昔、井野川は暴れ川であり、しばしば氾濫したそうです。大類氏は箕輪城落城とともに没落。その後、この城は和田城の出城となりましたが、天正18年(1590年)廃城となりました。周辺には天田館、村北屋敷、塚ノ越屋敷、大類館など、土塁や濠をめぐらせた武士の屋敷群があり、大類城の武将たちの館と見られているそうです。私が若い頃、お世話になった書店の社長さんが大類さんでした。高崎市の出身だったので、ご子孫かも知れません(^_^ゞ
石碑だけ。せっかくなら何かやったらよいと思う。
名前 |
大類城本丸跡の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
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高崎の城跡は結構巡ってきました。自宅に近い木部城跡(心洞寺内)、木部北城跡、倉賀野城跡、高崎城址(群馬音楽センター付近)といろいろ回りましたが、まさか大類地区にもかつて城があったとは想像していませんでした。しかも現在でいうところの熊野神社と宿大類公民館の間にひっそりあるという感じで全然気が付きにくいです。歩いたとしても通り過ぎてしまわないか心配です。歴史で全然名前が出てこないため、地元の方しかご存じ無いのかなと考えてしまいました。