淳和天皇の歴史を感じる。
淳和院跡 石碑の特徴
西院高山寺町には淳和天皇の離宮跡を示す石碑が立っています。
ここには大きな地蔵大菩薩立像があり、目を引く存在感です。
淳和院跡は歴史を感じさせる場所で、訪れる価値があります。
淳和院は淳和天皇が在位中、後院として造栄された離宮で 西院とも言います。弘仁元年(810年)四月と(813年)4月に嵯峨天皇は 皇太弟(淳和帝)の 南池院に行幸され、文人に詩を 賦させていることが文献に残っているので、はじめは 南池院と言われていたと思われます。その規模は明らかではありませんが、おそらく 西堀川(紙屋川)の水を取り入れ、院内に池を造り島を築いた幽玄な御所であったことは多くの文献によっても想像されます。淳和天皇は天長十年(833年)二月、ここで位を皇太子(仁明天皇)に譲り、承和七年(840年)六月55歳でなくなられるまでの七年間を過ごされました。
淳和天皇改め淳和院の邸宅跡を示した石碑が、ここに建っています。石碑は地味ですが、淳和院の名は西院(さいいん)の地名・東淳和院町と西淳和院町として継がれています。
名前 |
淳和院跡 石碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/uk010.html |
評価 |
4.7 |
周辺のオススメ

西院【西大路四条通】北西角の塀越しに身姿高い大きな地蔵大菩薩立像が、お立ちになってございます😤 そのお寺の前の石碑に淳和院跡度記載されて居りますと、