歴史を刻む方広寺の梵鐘。
方広寺 鐘楼の特徴
大坂の陣のきっかけとなった有名な方広寺の梵鐘です。
国家安康君臣豊楽と彫られた重要文化財の鐘。
日本三大名鐘の一つに数えられ、圧倒的な存在感があります。
とても迫力ある鐘です。大阪の陣のきっかけになったあの言葉も鐘に刻んで有ります。
歴史の転換点の原因を作った鐘。その大きさに驚きました。豊臣の威信をかけ造ったのでしょう。威厳を感じます。豊臣は滅亡させられても 壊されずに ただ放置されていたのは なぜだろうと思います。
大坂の陣のきっかけとなった「国家安泰」「君臣豊楽」の文字が刻まれた有名な梵鐘のある方広寺鐘楼。方広寺はかつて大仏殿を有する大寺院だったようですが、現在では敷地の南側を豊国神社に譲り、大仏殿も失って、こじんまりしたお寺になっています。それでも現代にのこる鐘は、さすがに歴史を感じさせる立派なもの。問題の四文字の箇所は白く塗られてわかりやすくなっています。この鐘が歴史を動かしたきっかけとなったことを思えば、やはり感慨を覚えずにはいられません。
■方広寺の鐘楼(ほうこうじのしゅろう)京都は方広寺にある釣鐘楼。寺は豊臣秀吉が天正14年(1586)に大仏を安置して建立した天台宗の寺。●豊国神社のお隣り、方広寺にある大きな鐘。地震や火災で崩壊した大仏殿等を、秀頼が再建し、慶長19年(1614)に再度竣工。豊臣側では直参の片桐且元が駿府に出向いて、大仏の開眼供養(かいげんくよう)の日時等に付き、家康に了承を得つつ準備を進めていったが、ところが、方広寺の鐘銘に「関東不吉之語」があるとし、供養の延期を命じてきた。難癖のようだが、鐘銘にあった「国家安康」「君臣豊楽」の文字彫りが、徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝う内容だと解釈した。此の解釈は歪曲だ、しかし、徳川側とすれば豊臣方に突け入る口実が必要だった、よくよく創作された解釈。
大阪の陣のきっかけとなった有名な鐘江戸末期の写真からだとその当時は普通に地面に置かれていたというこぼれ話をそえときます検索すると出てくるので良かったら調べてみて下さい!
「国家安康」「君臣豊楽」の文字が白い枠線で囲まれてますが、とても小さくて見つけにくいです。家康さん、こじつけすぎだろ…
京都国立博物館の隣にあります。豊国神社と一緒に見れます。82トンもの巨大な吊り鐘。日本最大級だと思います。良くこんな重いものを吊っていられるな、と感心します。家康の怒りをかった(単なる言いがかり?)文字も見ることができます。豊臣家滅亡後は、200年以上も地面に野ざらしだったとか。余談ですが、この辺りはコインパーキングが安い(土日でも24時間700円位)。
小さい時から教科書で見ていた鐘。こんなに大きな鐘とは思いませんでした。一見の価値あり。明治時代まで野ざらしになっていた写真がネットにアップされていますので、是非ご覧下さい。上半身だけの大仏殿の様子も確認出来ます。
家康が豊富家を滅ぼす為にイチャモンをつけた鐘を見てきました。よく壊されなかったと思います。歴史を感じる場所でした。隣の豊国神社へ続く石垣がまじでやばいです。さすが秀吉❗️って感じです。石垣は写メアップしません❗️是非、生で見てください^_^ここは京都に行ったら必見だと思います。
名前 |
方広寺 鐘楼 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-561-1720 |
住所 |
|
HP |
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents5_03/ |
評価 |
4.4 |
周辺のオススメ

国家安康 君臣豊楽。歴史が動くきっかけとなった貴重な釣鐘がこんなに間近に見られる。人でごった返す京都もこちらになると参拝者もまばらでひっそり。静かに落ち着いて拝見できます。