平安時代の聖なる井戸に出会う。
六角井戸(橘諸兄別邸跡)の特徴
平安時代初期の聖武天皇が関わった歴史的なスポットです。
歴史ファンにとって貴重な井戸の存在が魅力的です。
井手町の橘諸兄別邸跡に位置し、歴史的価値が高いです。
橘諸兄の邸宅である玉井頓宮(仮の宮殿)にあった井戸。六角形をしているのは恭仁京近くの朱雀の井と同じですが、こちらの井戸の方が大きく立派ですね。説明書を見ると、昔、聖武天皇がこの六角井戸のある玉井頓宮に度々来たそうです。迎える側の橘諸兄も毎回毎回もてなすのは大変だったでしょうね。六角井戸の隣に橘諸兄の和歌の石碑があり「葎延ふ賤しき宿も大君の座さむと知れば玉敷かましを」と書かれていますけど、もてなす側の苦労を思うと「部下の家を溜まり場にしないで、新しい宮殿(恭仁宮)を用意するからそちらに行きなさい」と橘諸兄が聖武天皇に和歌で伝えたかったのではないかなと私的には感じました。
奈良時代の公家、「井戸左大臣」と呼ばれたらしい。本宅は南に離れた場所にある。平城京から平安京へ移行する際の混乱期に才を発揮したのか?コネなのか?
歴史好きの方々には凄い井戸なのかな?
平安時代初期に、聖武天皇の 頓宮があった場所であり、 その中の井戸だと言われている。 後に権力を手にする橘諸兄の 関係も あるところだ。
名前 |
六角井戸(橘諸兄別邸跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.town.ide.kyoto.jp/rekishi_kanko/kankou_meisyo/1417410537149.html |
評価 |
3.8 |
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令和6年11月4日第8回万葉ウォーキングにて訪問井戸の横に建てられた歌碑が草で覆われていたので、参加者か交代で草をよけながら撮影。藤原氏と対立関係にあった橘諸兄の別邸「玉井頓宮」にあったと伝わる六角の形になった井戸は「公(橘諸兄)の井戸」として語り継がれてきた。葎(むぐら)はふ 賤(いや)しきやども 大君の 座(ま)さむと知らば 玉敷かましを右の一首、左大臣橘卿巻19 四二七〇巻19 四二六九には聖武天皇の御歌一首があり、上の一首はその歌に応え歌ったもの。ここでは京都大学・佐野宏教授に解説していただきました。