頼山陽の歌碑で歴史を感じる。
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江戸時代後期の歴史家、文人の頼山陽が、京と故郷の広島・竹原の間を幾度も旅する時に心境を漢詩で表した歌碑。
名前 |
頼山陽の歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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■頼山陽の歌碑兵庫県西宮市にある石碑。兵庫県立甲山森林公園の園内にある頼山陽の歌碑。建立:昭和46年 (1971) 10月西宮ライオンズクラブ●漢詩歌碑。冑山歌碑。歌碑は自由広場にあって、甲山 (かぶとやま) の美しさを讃えた、頼山陽作の冑山歌。 約200年前の江戸後期、京都に住んだ頼山陽が、親を見舞って広島へ下る旅の 途中、山翠の美しい西宮の山、甲山を仰ぎ見て、その心境を詩ったものといわれている。明治百年、県政百年を記念して建立となる。◉頼山陽 (らい さんよう) は、江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。