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東山区東大路通五条下る慈法院庵町にあるのが臨済宗建仁寺派の「慈芳院」になります。慈芳院は慶長3年(1598年)近江国蒲生郡橋本の領主、山中山城守長俊が、その妻慈芳院の追善供養のため建立された寺院と伝わる。「慈芳院」の門前には「豊太閤記室山中山城守長俊公墓道」との石碑があります。山中 長俊(やまなか ながとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名になります。豊臣政権においては五奉行とともに政務に携わった豊臣政権の十人衆(富田一白、佐々行政、寺西正勝、毛利吉成、堀田一継、石田正澄、片桐貞隆、石川光元、山中長俊、木下延重)として奉行の1人に名が挙げられている。関ヶ原の戦いにおいては、豊臣方に属して戦後、改易となり京都に隠棲して同地で死去しました。本堂の左手にある鎌倉中期の薬師石仏は、写実彫刻で美しい薬師如来像でした。