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名前 |
故六百三十餘人之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
片岡城落城の折、城内に残された男女が信長の命で処刑されたところ。『信長公記』に「十二月十三日、辰の刻に、百二十二人、尼崎ちかき七松と云ふ所にて、張付に懸けらるべきに相定め、各引き出だし候。さすが歴々の上臈達、衣装美々しき出立、叶はぬ道をさとり、うつくしき女房達、並び居たるえお、さもあらけなき武士どもが、請け取り、其の母親にいだかせて、引き上げ貼張付に懸け、鉄砲を以て、ひし貼と打ち殺し、鑓・長刀を以て差し殺し、害せられ、百廿二人の女房、一度に悲しみ叫声、天にも響ばかりにて、見る人、目もくれ心も消えて、かんるい押さへ難し。」と記す。