願い叶う首振り地蔵の隠れスポット。
清水寺善光寺堂の特徴
おもむきのある如意輪観音菩薩像が安置され、心が落ち着く場所です。
願いの方向に首を向ける首振り地蔵があり、訪れる価値があります。
洛陽三十三観音霊場の第10番札所として、多くの参拝者に親しまれています。
洛陽三十三ヶ所観音巡礼、10番札所、拝観料無料、御朱印は清水寺の本堂横にて300円。
ここには願い叶えたい方角へ、お地蔵様の首向けて祈願する珍しい参拝があります。お地蔵さまの首が痛まないよう優しく御扱い頂けると幸いです!
#20171230見過ごしがちですが、清水寺善光寺堂には願いの方向に首を回してお祈りすると願いが叶うという首振地蔵があります。
清水寺の塔頭の一つです。朱色の仁王門下の左側にある小さなお堂です。本尊は如意輪観世音で、このお堂は洛陽三十三所の札所の一つです。お堂の右側に小さな祠があり、そこに首振り地蔵と言われるお地蔵さんがあり、こちらにお願いしている人が多くいます。
この善光寺堂の創建年は不明とされていますが、鎌倉時代以前から当地にあったと伝えられ、もともとは六地蔵や地蔵菩薩を祀る「地蔵堂」の呼称で親しまれていました。鎌倉時代に入ると観音信仰が盛んになり、如意輪観音がこの地蔵堂に勧請され、以降、地蔵菩薩と共に祭祀されることになります。この時に名前を「地蔵堂」から「地蔵院」と改めて清水寺塔頭に組み込まれ、さらに「洛陽第十番 如意輪観世音 地蔵院」として洛陽観音霊場番札所の指定を受けています。尚、これらの事実は16世紀中期(1550年頃)に描かれた清水寺に伝わる「清水寺古図・清水寺参詣曼荼羅」に描かれた絵図に起因するものです。この絵図では現在の善光寺堂の場所に石製の六地蔵が安置された小堂が建てらている様子が描かれています。明治時代までは如意輪観音と地蔵菩薩がご本尊として存在していましたが、1868年から1912年(明治時代中期)に、かつて境内・奥の院付近に存在した「善光寺如来堂」を廃し、ご本尊・善光寺阿弥陀如来三尊を勧請して、堂舎の名前を「地蔵院」から「善光寺堂」に改めています。明治時代の清水寺は、明治初頭に政府から発せられた神仏分離令や廃仏毀釈の影響から寺領が没収されることになります。檀家(だんか)を持たない清水寺は資金繰りに困窮することとなり、境内の堂舎や仏像を売り払うこととなります。善光寺如来堂が廃されたのも、このような明治時期の動乱が背景にあるものと考えられます。現在、見ることのできる善光寺堂の姿は1984年(昭和59年)に再建(改修)された時の姿になります。
願いを叶えてくれると言われている、首振り地蔵があります。以前、旅番組で女優が、願いを叶える方向に地蔵の首を動かして、願いをしていたことが印象的でした。清水寺の仁王門を目の前にして、旅番組を思いだし寄ってみることにしました。仁王門を正面に左側の道へ入ると直ぐに、善光寺堂はあります。先客が地蔵さまの首を動かしていました。その日は何故か、シンボルの赤いよだれ掛けがありませんでした。
この善光寺堂の右に 小さなお堂が有り、頭巾をかぶり,前掛けをした 石造りの坐像が有り 「首振り地蔵」の木札が有ります。名前の通り 頭部が360度回転することから、こう呼ばれています。地蔵と言われていますが 実は お地蔵様ではありません❗ 頭の頭巾を取ると ちょん髷が有り 前掛けの下には 開いた扇子を持っています❗ もともとは江戸時代後期の 祇園の 太鼓持ちの 鳥羽八 (とばはち)という男性である。人の良さが高じて 借金で首が回らなくなり 死んだという。死を哀れんだ祇園の芸舞子が 鳥羽八の像をつくって 清水寺に寄進したものである❗願いをかける方向に首を回して祈れば 願いが叶うというので 特に若い男女に人気があるようです❗
昨年4月に訪れました..首ふり地蔵ココにあるとは知りませんでした。首が回るのには驚きました。
良かった、歴史を感じました。
名前 |
清水寺善光寺堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-551-1234 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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ほとんどの観光客は素通りするけどおもむきのある如意輪観音菩薩像がちんぞされてます。