大阪西区 梶井基次郎の青春。
梶井基次郎「檸檬」文学碑の特徴
梶井基次郎が生まれた場所を記念する文学碑です。
名作檸檬の作者として知られる作家です。
大阪の西区靱本町に位置している記念碑です。
檸檬ゆかりの書店が京都なので、梶井基次郎の出身が大阪のこの地であるとは思わなかった。そもそも檸檬を読んだのはさだまさしの楽曲に同名のものがあるからというミーハーな理由であったので、深く考えなかったというのが正しいが。石碑は幸せ家族が過ごす靭公園の渓流付近ではなく、木立の中にある。ひかえめで、繊細な文を書き短命に終わった才人にぴったりな感じ。また寄ってみようと思う。
梶井基次郎は日本を代表する青春小説の名作「檸檬(れもん)」の作者で、明治34年(1901)大阪西区の靱(うつぼ)に、父・宗太郎、母・ひさの二男として誕生。北野中学、京都の第三高等学校を卒業後、大正13年(1924)、東京帝国大学英文科に合格。翌14年(1925)、中谷孝雄・外村繁・小林馨(かおる)ら6人で、同人雑誌『青空』を創刊、「檸檬(れもん)」を発表したが、当時は全く売れなかった。靱公園に建つ文学碑には、「びいどろと云ふ色硝子で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗(な)めて見るのが私にとって何ともいへない享楽だったのだ。あのびいどろの味程幽(かす)かな涼しい味があるものか」と「檸檬」の一節が刻まれ、彼の繊細な感性を表している。「檸檬」が初めて評論家や文芸愛好者たちから好評を得たのは、短編を集めた単行本として刊行された昭和6年(1931)のこと。翌7年(1932)には、中学校時代にかかった結核性胸膜炎に苦しみながら、看病する母親と交わした会話をつづった「のんきな患者」を『中央公論』に発表。同年3月に死去。作品はほかに「冬の蝿(はえ)」「交尾」「桜の木の下には」「蒼穹」など。墓は常国寺(中央区中寺二丁目)にある。
名前 |
梶井基次郎「檸檬」文学碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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梶井基次郎が大阪市西区出身とは知りませんでした。ちょっと分かりにくいところにあります。