宿原城へ続く歴史の道。
二位谷奥付城跡Aの特徴
這田村法界寺山ノ上からの素晴らしい眺望が魅力です。
約5.5キロメートルに及ぶ歴史的な道を感じられます。
三木城南側の重要な包囲網形成の遺構です。
現在は焼肉屋さんとその駐車場になっており遺構は皆無である。城跡にまつわる説明板はなかった。せめて説明板でもあればわかりやすいのにねぇ。
三木城を包囲するために造られた付城のひとつで、配置された武将は浅野長政(弥兵衛)と一柳小兵衛とされています。浅野長政は豊臣政権の御奉行筆頭ですが君ケ峰城を守っていた木下与一郎と付城を並べ配置されていたようです(三木城にある武将配置図によれば)。この城はABCと分割され、この場所はA地点とされていますが実際には連なった場所として存在したのでは思われるのですが地点事に分割されているようです。道路がその部分とされ、旧道・白川街道が当時の主要道であったことからその周辺に城を築いたと推測されますが、現在は道路であり面影もなにもありません。通過するとそのまま走ってしまう場所ではあります。
名前 |
二位谷奥付城跡A |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
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這田村法界寺山ノ上付城を起点とし、宿原城までの約5.5キロメートルに及ぶ三木城南側からの物質運び込みルートを遮断するための包囲網を形成する付城の一つです。この二位谷奥付城は、南北に長く構築されており、史跡的にはA.B.Cに分けられているようです。別所方の三木城の一角である宮ノ上要害(砦)や鷹尾城からは、目と花の先の距離に位置しています。遺構は現存しておらず、案内板もありません。また、付城間に構築された多重土塁も確認できません。