三木合戦の歴史を感じる場所。
三谷ノ上付城跡の特徴
三木合戦の重要な歴史的舞台で、羽柴秀吉が本陣を置いた場所です。
周囲には三木城を包囲するために築かれた30余りの付城が点在しています。
三谷ノ上付城跡は戦国時代の歴史を感じられる貴重な史跡です。
三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置き、三木城を包囲するため、周囲に30余りの付城を築いたとされます。這田村法界寺山ノ上付城を起点とし、宿原城までの約5.5キロメートルに及ぶ毛利軍の明石からの兵糧等物資の運び込みルートを遮断するため、複数の付城と多重土塁を張り巡らし包囲網を敷いた。そのうちの一つが、この三谷ノ上付城です。毛利軍が明石から陸路で兵糧等物資を三木城に運び込むのを阻止した。今の三木森林公園内のバーベキュー広場に付城があったとされますが、案内板等の設置も皆無であり、遺構は確認できません。
現在のバーベキュー広場付近が城跡主郭部想定場所。開発されており遺構は無いが、かなりの高台であり見張りの場所に最適であることは地形から明確である。周囲の帯曲輪ぽいものや土塁ぽいものが遺構であるとするならば嬉しいね、私は。いずれにせよ説明板やら城跡碑はないのでよくわからんちーと言える。
三木城を兵糧攻めにするため築かれた30余りあったとされる付城の一つとして三木山森林公園内の森のバーベキュウ広場付近に過去に存在していました。配置された武将は三木城にある武将配置図から糟谷内膳とされています。憶測ですがバーベキュウ広場のエリアがが主郭部分になり、その周辺を土塁等で防御していたのではないかと思われます。特に案内板があるわけでは無いですが、城として機能していた一部(土塁)が現存していることから他の付城の案内には現存しているとされています。ここにも城があったんだと思って見渡して見ると、また違った景色が見えるようです。
名前 |
三谷ノ上付城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0794-83-6100 |
住所 |
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HP | |
評価 |
2.8 |
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三木合戦の舞台になった史跡で、三木山森林公園の中にあります。三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置き、三木城を包囲するため、周囲に30余りの付城を築いたとされます。這田村法界寺山ノ上付城を起点とし、宿原城までの約5.5キロメートルに及ぶ毛利軍の明石からの兵糧等物資の運び込みルートを遮断するため、複数の付城と多重土塁を張り巡らし包囲網を敷いたと云われています。そのうちの一つが、この三谷ノ上付城です。毛利軍が明石から陸路で兵糧等物資を三木城に運び込むのを阻止したようです。今の三木森林公園内のバーベキュー広場に付城があったとされますが、案内板等の設置も皆無であり、遺構は確認できません。