清川村でお不動様を拝むツーリング。
正住寺の特徴
ツーリング中に立ち寄る、清川村の寺院です。
正住寺の山門の後ろには、供養塔が4名分あります。
お不動様を拝むことができる、歴史ある場所です。
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清川村周辺でのツーリング中に必ず立ち寄り、お不動様を拝みに行っています。
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名前 |
正住寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
046-288-1324 |
住所 |
|
評価 |
4.4 |
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正住寺慶安の変、油井正雪の残党、4名の供養塔は金剛山(寺の号)の額のある山門のすぐ後ろにありました。わかりやすいです。居士が3人、信士がひとり。従僕の甚三郎が孝訓信士なんだろうな、とおもいつつ、あとは誰が誰だか想像だにつきません。ちなみに残党が捕縛された駒が橋は伊勢原津久井線の公民館前バス停のすぐ北で、川にかかっている小さな橋です。“はしはしの橋のはなしなり駒が橋”と刻まれた石柱があります。(グーグル地図に駒が橋を登録をしようとしましたが、登録はできませんでした。)【参考】煤ケ谷村の小学校の下に小さな橋がある。この橋は慶安4年(1651年)8月1日油井正雪の乱の残党を搦め捕ったところである。浪人ものは芝原亦左ヱ門、芝原七郎兵衛ヱ、渥美次郎右エ門に従僕の甚三郎の4名で、現在清川村の金剛山正住寺という寺に彼らの供養塔がある。この四名を村人から引きついだ代官所の役人が、この橋の上で馬の背に4人を乗せて連れて行ったので駒が橋の名が生まれたといわれる。【民俗資料 昭和30年11月1日 神奈川観光協会 尾原秀二 より抜粋】【参考】煤ケ谷村“風土記より”慶安4[1651]年9月村民ら、由井正雪、丸橋忠弥らが余類を搦捕し(渥美次郎右衛門、芝原亦左衛門、同七郎兵衛および僕従甚三郎、7月29日夜、丹沢山御林見守道より来たり。村民の家に宿せしを、御代官坪井次右衛門に注進し、8月朔日搦捕しとなり)賞として米300俵を賜い、かつ鉄砲42挺を許可せられ、山林に猟する事を余業とす。【参考】正住寺 “風土記より”金剛山と號す。臨済宗。鎌倉建長寺末。慶安2年8月、寺領10石5斗の御朱印を賜ふ。開山 佛果。本尊釈迦。稲荷社。天神社。