水城・高松城の美景、海へ続く!
高松城天守台跡の特徴
高松駅から近く、重要文化財の城跡で楽しめる風景が魅力的です。
美しい石垣やお堀から壮大な景色が見え、散歩にも最適な場所です。
趣味の城巡りで訪問しました。 西門から入り、鞘橋を渡りながら右側を見ると、お堀越し・石垣の間に琴平電鉄の駅が見えまます。 広島県の福山駅や三原駅のようにお城の間近に新幹線駅があるとこもありますが、駅のホームが見えて、電車の発車が見える城は稀かと思います。部分的ですが、城の外周をまわるように走る電車も珍しいので、天守台跡からの映像を撮ってみました。
高松城の天守台へ行って来ました♪高松城の天守閣は、明治3年(1870年)に廃城となり、老朽化により明治17年(1884年)に解体され、それ以降は天守台のみが残っています。しかしその天守台も老朽化により傷みが著しく、平成17年度により石垣の修理工事を開始し、すべて解体後に再度積み上げ、平成24年度に完了したとのことです。美しく積み上がっていましたね。
英語の授業が観客のための紹介して、ビデオを作った。高松で一番近いはこの玉藻公園なので初めて行って見たんです。昔の江戸時代時負けましたのでちょっと変わった建物があります。
2025.2.23訪問。天守閣は現存しませんが、江戸時代に入る前の戦国末期の特徴がしっかり残った石垣は見る価値あり。しっかり修理をしたようで状態は良好です。堀の水は海から引き込んであるだけあって透明度が高く綺麗です。
平日の午前中に訪問。観光客はまばら。入場料大人200円。綺麗に清掃がされていた。
香川県高松市にある高松城の天守台です。生駒親正が築城したお城ですが、後の高松藩主 松平頼重が、3層5階建ての四国最大規模の天守を1670年に完成させたとのこと。天守は1884年に老朽化により解体され、天守台の石垣も風化や地震の影響で崩壊の危険性があった為、2007年から5年の歳月をかけて天守台を発掘調査の上で解体し、地盤補強ののち元通りに石垣を組みなおす大改修が行われています。約13mの天守台石垣だけでも相当な高さですが、その上に石垣から張り出す形で30m近い天守があり、かなりの威容を誇っていたことでしょう。6月末の日曜日のお昼に伺いましたが、それほど観光客はおらず、天守台も貸し切り状態でゆっくり見て廻ることができました。天守台には展望デッキがあり、海水を湛えたお堀や、鞘橋などが見渡せます。天守台にアクセスできるのは、鞘橋だけなので西門からが近いです。訪問時期:2024年6月。
高松駅からすぐ、天守閣はなかったけど、お堀の景色が素晴らしかった。舟は500円くらいで時間決まってて乗らなかったけど、海の魚とは知らなかったので、次は乗りたい。元乃木坂の生駒ちゃんの御先祖が初代城主らしい。どんどん歩いて行ったけど、通り抜け出来なくて入り口に戻った。
天守台までの道のりが以外とありました。想像よりも景色は良かったです。
日本100名城。天守台跡には、礎石のみ残されています。ここから美しい景観を望む事が出来ます。天守が復元されたら良いですね。
| 名前 |
高松城天守台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
087-851-1521 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 7:00~17:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市にあった**海城(うみじろ)**で、別名「玉藻城(たまもじょう)」とも呼ばれます。瀬戸内海の海水を直接堀に引き込む構造が特徴で、日本三大水城のひとつです。⸻1. 築城と起源•\t築城:1588年(天正16年)•\t築城者:生駒親正(いこま ちかまさ)•\t瀬戸内海に突き出すような地形を利用し、港と城を一体化させた海城として建設。•\t築城当初から海水を引き込んだ堀を持ち、船で本丸近くまで入れる構造でした。⸻2. 江戸時代の高松城•\t生駒氏が4代・54年間支配。•\t1640年代、生駒騒動で改易され、1642年からは**松平氏(徳川家康の孫系)**が入り、以後幕末まで11代続く。•\t松平氏のもとで城下町高松が整備され、讃岐一国を治める政治・経済の中心に。⸻3. 明治以降•\t1874年(明治7年)、廃城令により天守など多くの建物が取り壊される。•\t本丸・二の丸・三の丸の石垣や堀は残され、公園化。•\t堀の海水は現在も現役で、クロダイやボラなどの魚が泳ぐ珍しい城跡。⸻4. 現在の高松城跡(玉藻公園)•\t国指定史跡。•\t櫓(艮櫓・月見櫓・水手御門)は重要文化財。•\t天守は現存しないが、復元計画が進行中。•\t春の桜や堀の鯛の餌やり体験が観光名物。