昭和の歴史、白菊隊の足跡。
高知海軍航空隊之碑の特徴
昭和19年に設立された高知海軍航空隊の歴史が記録されています。
海軍航空隊白菊隊が特攻に参加した証がここに存在します。
訓練飛行隊の碑として高知・徳島地域の歴史を感じられます。
ナビでは見つけにくい場所で、ぐるぐる回りようやくたどり着けましたが雑草が生い茂り管理されてない状況でした。特攻隊にいた亡き父が探していた場所にようやく母を連れて行け、父の写真と共に写真に写して帰りました。鹿児島の鹿屋基地は早くに見つけられ連れて行けたのですが、高知は最近まで特攻の飛行訓練場所だった事は知られていない状況でした。平和を信じてなくなった方の為にも整備して欲しい場所です。
高知・徳島に有った訓練飛行隊の碑です。
昭和の歴史をしっかりと残していかなきゃならない場所ですね。
高知に特攻隊が編成されていた事はあまり知られていないと思います。
海軍航空隊白菊隊がこの地より特攻に参加しました。
1944年(昭和19年)3月15日、日本海軍は、現在の高知空港、高知大学農学部、高知工業高等専門学校(高専)の地に、偵察搭乗員育成のために、高知海軍航空隊を開設。士官160名、兵員3600名、機上作業練習機「白菊」55機配置。その間、訓練中空中衝突事故もあり、2機がそれぞれ包末、松本の両地に墜落した。碑も両地に建立されている。1945年(昭和20年)3月、新たに「神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊」が編成され、白菊がこの空港の滑走路から飛び立ち、九州の鹿屋(かのや)特攻基地から沖縄特攻作戦に参加した。1945年(昭和20年)5月から6月にわたる4次の攻撃で、26機、52名の17~18才の若者が沖縄の空に散っている。
| 名前 |
高知海軍航空隊之碑 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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徳島基地からの白菊特攻と高知基地からの白菊特攻があったことを知り訪問しました。