長宗我部家の絆、秦神社で。
秦神社の特徴
秦神社は長宗我部元親を主祭神として祀っており、歴史ある神社です。
創建当初から御神体として長宗我部家の霊板や木像が安置されています。
御朱印は古い印を使用しており、珍しい逸品として評判です。
秦は、長宗我部氏の元の名前なのですね。友親さんの本で知りました。なかなか大きなおもしろい木があります😊 入ってすぐの碑の、長宗我部親先生とは誰なんだと思ったら、友親さんのおじいさんで、ちかし、と読むようです。ややこしい名前ですね😁 ちなみに、手島右卿さんの揮毫でした。あと、説明板にある島弥九郎さんは、元親さんの末弟で、元親さんより先に徳島で亡くなっているのではなかったかな😅
秦神社は元親を主祭神としている神社。明治期に元親の弟「島親益(親房)」の末裔が、地元有志と共に創建したもの。毎年11月23日には「長曾我部慰霊祭」が営まれています。僕も毎年、慰霊祭に参列しています。
明治3年に四国霊場33番札所の雪渓寺に隣接して建てられました。社名は長宗我部氏が、中国秦王朝の子孫とされる事から名付けられ、雪渓寺にあった長宗我部元親の木像を御神体として安置したそうです。また戸次川で戦士した、長宗我部兵や秦家代々の霊も祀っているそうです。
【秦神社:はだじんじゃ】高知県高知市長浜秦神社4〜7枚目、雪蹊寺が廃寺になった時に安置されていた元親の木像や戸次川合戦戦死者の霊板などを御神体として創建された日本で唯一、長宗我部元親を主祭神として祀る神社です社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称した事による秦河勝:日本に養蚕、機織技術を伝えた人長宗我部盛親:長宗我部家最後の当主。関ヶ原合戦で西軍に属し浪人、大坂の陣に参戦したが敗北。捕らえられのち処刑された。
33番雪けい寺隣に鎮座している長宗我部盛親公の墓もある神社。
長宗我部一族とその家臣団がまつられている、とても清らかな雰囲気の神社でした。多くの方が言われていますが、大変丁寧に御朱印を書いていただきました。撮影にも快く応じていただきました。
長宗我部家に纏わる縁の深い神社です。若宮八幡宮の系列で、四国八十八ヶ所の札所のお寺のすぐ隣にあります。駐車場はお寺と共用なのか一体で7〜8台程度は止めれます。御朱印は書置でも大丈夫で300円でした。
四国八十八か所の33番札所の雪渓寺に参拝させていただくつもりで駐車場に車を停めたら右横に秦神社さんが鎮座されていたので、先に秦神社さんに参拝させていただきました。
若宮八幡宮の近くにある長宗我部元親公を祀る神社です。若くして戦死した元親公の長子である信親公も合祀されていて、元親公の跡を継ぎ、武運つたなく大阪の陣で敗死した盛親公の慰霊碑もあります。親子二代にわたって司馬遼太郎の長編の主人公になっているのは元親公(「夏草の賦」)と盛親公(「戦雲の夢」)だけなのですが、元親公はともかく盛親公は高知においても扱いが粗略です。ここにある慰霊碑も新しく、つまりは長らく顧みられていなかったことがうかがえます。「戦雲の夢」で描かれた、どん底から這い上がる盛親公の姿は現代においてこそ共感を呼ぶものだと思うのですが。長宗我部家に思い入れがないと本当に見るものがないので評価は★二つとしていますが、盛親公推しならとりわけ感慨深いと思います。
| 名前 |
秦神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
088-841-2464 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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秦神社の秦は、長宗我部家は秦氏の子孫だったというところから来ているらしい。ただ、秦氏の子孫かどうかは歴史的には検証されていないのでなんとも。とはいえ長宗我部家にゆかりのある神社であることは間違いなく、信親の碑なども境内にある。真夏に訪ねたが、社務所はかなりエアコンが効いており、朱印をいただく時に冷気で涼めました。