被爆の歴史を伝える赤煉瓦。
旧広島陸軍被服支廠の特徴
現在も残る被爆建物は、広島市南区に位置する重要な歴史遺産です。
鉄筋コンクリート造の建物は、影響を受けたままの鉄扉が歴史を語りかけます。
旧陸軍被服支廠は、広島市の貴重な文化財として後世に継承されていきます。
予約制で撮影許可出してお金取ればいいのに。広大な敷地が立ち入り禁止ですが、外側だけでも雰囲気あります。
広島の被爆建物として後世に残される事が決まりましたね。赤煉瓦造りで頑丈だったため爆心地から3kmくらい離れた場所で建物としてはほぼ無傷でしたが爆風で窓枠の鉄の扉が内側に大きくへこんだまま残っています。ここの近くで疎開作業をしていた祖母が被爆した当日の様子を子供時代によく話してくれました。爆風に飛ばされて気が付いたら周りの家(木造)がはほとんど倒壊して遠くは火の手があがり煙りが立ちこめていたそうです。被服支廠は戦後は倉庫などに使われていたようですが戦後78年経過して被爆建物として整備され残されるのは当時を物語る戦争の証言者になるのだと確信します。
2024 05/23中国新聞を追記被服支廠4号棟 広島大学寮の設備撤去へ 中国財務局 戦時中の倉庫状態へ1〜3号棟は広島県保有 4号棟は国保有で1965年から広島大学が財務省から借り定員53人で開設1995年に東広島市への大学移転に伴い閉鎖被爆建物 取り壊し騒動も保存で決着しました 2024年1月に全4棟が重文に指定むちゃくちゃ映えます インスタグラム好きは広島市観光でマスト。
わがまち活性化委員会さんの主催のオープンウィークに敷地内を自由見学させて頂きました。国の重要文化財に指定され、これから耐震工事となるそうです。
広島市の旧陸軍の被服支廠へ行ってきました。当時は軍服や軍靴、軍帽などを生産、修理、保管、供給する施設で、被服の大規模な製造修理工場と保管、供給を行う倉庫群があったようです。原爆の爆風により、屋根に大きな損傷を受けるも火災は免れ、被爆直後は臨時救護所となったようです。西に面した3棟の鉄扉のいくつかには、被爆時の爆風で変形した痕跡がありました。現在の建物も広大ですが、それでも当時の1/12の大きさのようです。
被爆建物でも有り鉄筋コンクリート造とレンガ造りの複合 国内でも希少な建造物です。普段は敷地内には入れません。住宅地の中に有り 専用の駐車場も無いので車の方は近くでコインパーキングに停めて行かれて下さい。
Twitterで以前話題になっていました。実際に訪れるとその建物規模の大きさに驚かされます。堅牢な鉄扉をいとも簡単に歪ませてしまうほどの熱線と爆風です。生身でその下に晒された人々の痛みや苦しみは、想像もつきません。建物の一部が平和記念資料館にも保存されていました。周辺は住宅街ですので、見学や写真撮影の際は住民の方の迷惑にならないよう配慮が必要かと思います。
壮大な被爆建物。戦争をするには、これだけ規模の大きい建物で、軍靴や軍服を作る必要があったのだと、圧倒されるような空氣が迫って来る。規模から言えば、原爆ドームよりはるかに大きい。そして、戦争を伝える力がある。日本中、世界中の人が見て、原爆や核兵器に反対する気持ちを醸成する中心になってほしい。そのための保存と、グランドデザインが必須だ。
被爆建物としても最大規模だし、自分としても小さなころからあった建物。時効だけど小さい頃忍び込んだ想い出のある建物。広島と言えば原爆ドームと油臭い床の市電とここ。
名前 |
旧広島陸軍被服支廠 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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爆心地の方向に面していた西側の鉄扉のいくつかは被爆時の爆風で変形した痕跡を留めていますが、1945年8月6日の原爆でも倒壊せずに残っている現存最古級の鉄筋コンクリート造建物です。