春の桜守る大雷神社。
大雷淡洲神社の特徴
桜が綺麗で、訪れる人を引き寄せる神社です。
大雷命と息長足日売命を祀る由緒ある神社です。
地元の人々に愛される、歴史深い神社です。
祭神おおいかづちあわす大雷淡洲神社滑川町大字山田(下山田)読み:おおいかづちのみこと読み:おきながたらしひめのみこと大雷命息長足日売命由緒かんばって当社は昔この地方がしばしば早に見舞われ凶作こくほうじょうが続くので五穀豊饒を願つて雨乞いの神大雷神と三じんぐうこうごう韓鎮定に功績を挙げた神功皇后を祭神として奉祀した神社と伝承される。勧請の年代は資料によれば応永二己亥(西暦一三九五)年と推察される。寛永二己丑に邑の鎮守となり、明治四年三月に村社に列格した。
地元の神社です、ゲートボール場がありますが、最近は使われていないようです。火の見やぐらが境内に建てられています。
大雷淡洲神社(おおいかづちあわすじんじゃ)御祭神 大雷命 息長足日売命由緒大雷淡洲神社は、大雷神社と淡洲神社の合社です。昔この地方がしばしば旱魃に見舞われ凶作が続いたため、五穀豊穣を願って雨乞いの神大雷神と、三韓・熊襲の鎮定に功績を挙げた神功皇后を祭神として奉祀したことに始まると伝承されています。勧請の年代は、資料によれば応永二己亥年(1395)と推察されます。寛永二乙丑年(1625)に邑の鎮守となっています。西方に直線で約2.7km離れたところにある式内社の伊古乃速御玉比売神社が、「郡中の総社」として淡洲明神ともいわれていたことから、同社をこの地に勧請したことが推測されます。「明細帳」には「勧請年月不詳宝永七年(1710)三月霊代ヲ改メ鎮守タリ」とあります。これに見える「霊代ヲ改メ鎮守タリ」の記載は、同じ地内にある上山田の淡洲神社が、同年代に神祇管領の吉田家から正一位の神位を拝受していることから、これに合わせて当神社も神位の拝受を行い、名実共に村の鎮守としての地位を確立したことを表していると考えられます。「風土記稿」は、地内の神社について「淡洲明神社 村の鎮守なり、東光寺持、下二社同じ、雷電社山王社」と載せています。この記述から、合社となったのは化政期(1804~1830)以降のことと考えられます。合社後しばらくは、二棟の覆屋にそれぞれ本殿が据えられていましたが、淡洲神社に大雷社を合祀した際に、大雷社の本殿は外に移されました。現在の社務所は、嘗ての大雷神社の覆屋です。大雷淡洲神社は、明治四年(1871)三月に村社に列格しました。(「境内案内板」及び「埼玉の神社」参照)鳥居を潜り、玉垣の内にある社殿は、正面が社務所(嘗ての大雷神社の覆屋)で、社務所の建物内の、向かって左側が淡洲神社本殿の覆屋になっているレイアウトです。社殿に向かって右側にある境内社「天満天神宮」は、大雷社旧本殿です。
名前 |
大雷淡洲神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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目の前をしょっちゅう通過するのに神社がある事に気がつかなく、桜が綺麗だから撮りに戻って神社に気がつくという。なんか拝殿が長家のような不思議な作りの神社です。