歴史と緑に包まれる玉里庭園。
旧島津氏玉里邸庭園の特徴
島津藩第27代藩主斉興が築庭した歴史的な大名庭園です。
整備された庭園には、鶴の池や亀の池など風情ある景観が広がります。
入場料無料で、静かで落ち着く空間が楽しめます。
護国神社と一緒に訪問しました。国の文化財なのに入場無料!ありがたいですね。ただ、自分の訪問した際には水が濁っていて、倒木があったり少し荒れ気味でした。でも石灯籠を始め、よくよくみると味わい深いものがたくさんあります。せっかくの庭園ですから予算を付けてほしいですね。目の前に国道3号線から一直線の道があります。これが島津久光の国葬の際に作られた国葬道路だそうです。
茶室が残っているだけですが庭も広く緑が多くて観光客もいなかったので静かでとても良かったです!!左側の壁沿いをグルっとまわると裏に玉里公園があるのですが、可愛い猫ちゃんがいてとても癒されました♪
島津藩第27代藩主島津斉興(1791~1859)によって天保6年(1835)に築庭された大名庭園です。現在の鹿児島市立鹿児島女子高等学校隣にあります。斉興の別称が「玉印」であったことから,玉里邸と命名し,後にこれが地名となりました。敷地東半部の平坦地(現在の鹿児島女子高運動場)には,かつて主屋建築群が建っており,主屋建築の書院座敷に面して造られた池庭は「上御庭」と呼ばれています。上御庭の中島は亀の姿を象った岩からなり,「亀の池」とも呼ばれています。一方,西半部は一段低くなった構造で,池庭と茶室が造られ,池周辺を歩きながら庭園全体を鑑賞できる回遊式の「下御庭」があります。下御庭の池は「鶴の池」と呼ばれています。斉興没後は養女で妹の勝姫が住居していましたが,明治10年(1877)9月,西南戦争により荒廃しました。その後,斉興の五男,島津久光(1817~1887)が再築に着手し,明治12年(1879)に上棟しました。久光の死去に伴い,明治20(1887)年に国葬が行われた際,黒門と国葬道路が急遽造られました。昭和20年(1945)7月19日,第二次世界大戦によって,茶室,長屋門,黒門を残して建造物は焼失し,庭園は灯籠などが破壊したものの大きな被害を免れました。昭和26年(1951)には鹿児島市が所有者となり,昭和34年(1959)鹿児島女子高が移転しました。この時「上御庭」は一部を残して校舎及び運動場に改修されました。仙厳園と併せてぜひ訪れて欲しい庭園です。
第27代藩主島津斉興により築庭された大名庭園で、鹿児島市立鹿児島女子高等学校隣にあります。斉興の別称が「玉印」であったことから玉里邸と命名され、これが現在の地名となったようです。入場は無料で、黒門を入った所のカウンターを押すだけなのはありがたい。西南戦争により荒廃しましたが、島津久光が再築に着手し,明治12年に上棟されました。かつて主屋建築群が建っていた東半部は,鹿児島女子高運動場になっています(上御庭へは立入禁止)。西半部には池庭と茶室が造られ,池周辺を歩きながら庭園全体を鑑賞できる回遊式の「下御庭」になっています。池は「鶴の池」と呼ばれています。京都のお寺などとすると、こじんまりとした庭園ですが、四季折々の花や木があり、池や茶室などがバランスよく配置されており、良い庭園だと感じました。新婚さんが2組来られていてカメラマンに撮影してもらっていました。ちなみに2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」での撮影ロケ地にもなった庭園です。駐車場は、国道3号線から登ってくると、看板に「鹿児島女子高等学校」とある交差点があり、この信号の左が入口の黒門ですが車は右折すると駐車場があります。ファミリーマートの向かい側が駐車場です。
島津家第27代当主斉興によって天保3年(1835)に築庭された大名庭園。幕末の政治に大きな影響を及ぼしながらも、明治維新後は新政府の開化政策には一貫して反発した島津久光が隠居していたそうで、ウィキペディアには久光候は「生涯髷を切らず、帯刀・和装をやめなかった」とある。訪問当日は雨であり、2か所ある滝の一つは布引きの優美な姿を見せていて感嘆したが、恐らく往時は雨であれば和傘をさし、さすがに霜髪の髷に帯刀、和服姿の久光候が汀に立って池を眺めていたのではなかろうか?しかし開化は進み、例えば庭園にしても、候が明治20年に薨去されたあとには山懸有朋によって京都に無鄰菴が完成する(明治29年)。「自然主義風景式庭園」なる日本の近代庭園の嚆矢の一つであり、白眉でもある無鄰菴であるが、実際の施行をした庭師である七代目小川治兵衛は最初は山懸の庭園観が全く理解できず、当惑したと伝わっている。それは治兵衛に伝統的な庭なるものを説明された山縣も同様だったようで、如何に山縣に欠けたものが大きかったか窺われる。しかし山縣の庭園観を受容した七代目小川治兵衛とその門弟は以後の日本庭園の流れを席巻して現在に至り、しかも無鄰菴は今なお美しい。ではあるものの、またはであるからこそ、今も庭園、さらに言えば自然を見る我々の視線には、どんなにその美しさを理解できるのは自分なのだと言ったとしても、実のところ「山懸なるもの」が知らずに潜んでいるはずであり、隣にいつのまにか立っている山懸の視線を通じてそれは見えているのである。「山懸とは何なのか?」と分からないまま過ごさざるを得ない不安と困惑を吐露したところで、雨中のこの庭園は今や何も答えてはくれない。
雨の庭園も美しい。
島津久光が住んだ玉里邸 茶室しか残されてませんが見学する事が出来て光栄でした 国葬道路工事等 当時の薩摩の影響力を感じられました。
池へ注がれる水の音が、たまらなく風流でした🏡
♦️島津斉興氏によって玉里庭園は1835年に築庭された大名底園、南九州独特の趣向をこらし材料を用いて風土的特色が見られ景観にすぐれ歴史的にも貴重なもの。国の名勝に指定♦️
名前 |
旧島津氏玉里邸庭園 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
099-222-2627 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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お手入れの行き届いた綺麗な庭園です。結婚式の撮影をしていました。受付の方が今珍しい花が咲いているとかいろいろ教えてくれました。(6月訪問)