西郷隆盛ゆかりの須賀家伝説。
伊集院兼寛誕生地の特徴
伊集院兼寛誕生地は西郷隆盛の妻、須賀にゆかりの地です。
この場所は西郷隆盛に関する歴史を深く掘り下げたスポットです。
伊集院兼寛の出身地で歴史を感じる貴重な史跡となっています。
マンションが立地しており、石碑なるものは見当たらない。伊集院 兼寛は、日本の武士・薩摩藩士、軍人、官僚である。薩摩藩出身。通称は直右衛門。諱は兼寛。明治期に海軍少輔・元老院議官・貴族院議員を歴任。子爵。 実姉の須賀が嘉永5年に西郷隆盛に嫁いでいる。〔安政元年に離婚〕
西郷隆盛の最初の妻「須賀」の実弟。幕末期には西郷・大久保と行動をともにし、明治以降は新政府に出仕後、貴族院議員を務めた。
名前 |
伊集院兼寛誕生地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-227-1962 |
住所 |
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HP |
https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/shisekimeguri.html |
評価 |
5.0 |
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西郷隆盛の妻が伊集院須賀。伊集院須賀の弟が伊集院兼寛。弟、伊集院兼寛の生誕の地である。伊集院兼寛は貴族だった。西郷隆盛、大久保利通と深い関係であり親密だった。兼寛は武勇、誉れ高く、薩摩藩屈指の攻撃力、剣術、知性を兼ね備えていた。京の【寺田屋騒動】で血まみれ、敵を両手で壁に押し付け『おいごと、刺せっ❗』刀は自分と相手を一気に串刺し状態で貫通★過激な死を遂げた伊集院出身の有馬新七の墓が伊集院にあるが、伊集院兼寛は有馬新七と寺田屋に同行し、劇的な斬り合い、死闘をした勇猛果敢な武士だった。討幕(徳川幕府{江戸幕府}を討つ)に参戦、寺田屋騒動の件で伊集院兼寛は謹慎処分を食らう。金門の変(江戸幕府VS長州藩)では特攻隊として敵に突っ込んだ★斥候(突撃隊長)として激戦!薩英戦争では決死隊として突入!暴れん坊で危険な勇士として名を轟かせていた。戊辰戦争(新政府軍VS薩摩、長州、土佐藩)では参謀として大活躍した。伊集院兼寛は貴族(華族=男爵より上の子爵)となり、天皇陛下より勲一等瑞宝大章を授かる。兼寛の父親、伊集院兼善は高知県知事。南野陽子主演の映画、ドラマ化された日本を代表するアニメ《はいからさんが通る》《執事 西園寺の名推理》は、西郷隆盛の最初の美しい貴婦人、伊集院須賀、須賀の弟で貴族の伊集院兼寛、伊集院信管を発明し、〔月月火水木金金〕の軍歌を作らせ日露戦争勝利の勝因となった伊集院五郎元帥、島津斉彬の妻の伊集院須磨(須賀と1字違い)らをモデルとしている。ちなみに、日本最初に鉄砲を合戦に使用した武将は伊集院忠朗。1549年の加治木城攻め。日本最初にキリスト教が行われた場所は、関ヶ原で徳川家康軍を敵中突破した鬼島津、九州を制覇した島津義久ら島津四兄弟が過ごしていた伊集院城(城山公園一宇治城跡地)。皇室、日本最高歌人、【紀貫之】の血筋の伊集院時清が伊集院城を築城。HK大河ドラマ『西郷どん』では西郷隆盛の美人妻、伊集院貴婦人を橋本愛が熱演。第7回〈背中の母〉8回〈不吉な嫁〉で伊集院須賀が登場♪西郷隆盛は徳川幕府を倒し、武士の時代を壮絶な死で終止符を打ち、新しい日本、革命を構築した日本の英雄。西郷隆盛をモデルとした映画がトム・クルーズ、渡辺謙主演の世界ヒット作の「ラストサムライ」。日本最後の武士、まさに、西郷隆盛のこと。その偉業を樹立させた偉人、西郷隆盛の妻、伊集院須賀貴婦人の生誕の地、弟の伊集院兼寛の生誕の地の石碑もなければ案内看板も、無い❗跡形も無い❗のだ。誠に遺憾。というか、余りにも悲し過ぎる!西郷隆盛は伊集院家が10両援助して江戸に行く事ができた。これを期に、西郷隆盛は大きく飛躍。西郷隆盛が英雄となり得る分岐点でもある。そのきっかけを作ったのは伊集院家である。歴史的に貴重なこの地は、現在、コンクリートで固められたありふれた平凡な道路となり、車や人々が何のためらいもく、通り過ぎて行く。雑に扱われている歴史的なこの地はごく、普通の日常の光景であった。サイレントに時が流れている。しかし、この地は、何かを訴えている!いや、きっと泣き叫んでいる!に違いない。私は数秒間佇んでいた。雨が降っており、少なくとも、私の心の中では、あっけないこの風景に泣かずには、いられなかった。