住宅街に潜む真田の伝説。
伝)豊臣秀頼公墓所の特徴
住宅街の中にひっそり佇む、豊臣秀頼公の墓所です。
真田信繁が秀頼を逃がした伝説が残るアヤシイ場所です。
個人管理の貴重な史跡として地元の方から感謝されています。
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島へ」慶長20年(1615)の大坂の陣で豊臣家が滅んだあと、真田信繁(幸村)が豊臣秀頼を連れて鹿児島へ落ちのびたという伝説があります。秀頼は谷山に暮らし、幸村は南九州市の雪丸地区に蟄居隠居したとの事(幸村の墓もあり)秀頼の墓がある当地区には豊臣の姓である「木下」木ノ下川が流れておりロマンを掻き立てます。お墓を管理していただきありがとうございます。
地元でも知らない人の多い、実にアヤシイ場所。わたし自身「んなわけねーだろ、実にうさんくせえ」としか思っていなかった場所なのですが。漫画「衛府の七忍」の読者であれば「薩摩の民草に親しまれ、68歳まで生きながらえたとさ」の場所として一気にイイ感じの場所へ変わります。若先生がこの場所知ってて書いたのかどうかは知りませんが。交通の便も良い場所なので、ちょっとした聖地巡礼観光としておすすめ。あ、ちなみに「生きた人間の胆嚢を奪い合う競技」も「犬に飯つめて焼いて食う料理」も史実にそんなもん確認できないそうですよ。
市民の自宅敷地内にあり、個人管理となつています、県?市?は関係ないです、まちろん関係団体の補助ナシ?
ここまで遺すことを続けてくださる地主の方や地元の方に感謝です。
住宅の入り口に石燈があります。豊臣秀頼のお墓と言われている石碑です。島津氏が秀頼をこの谷山の地にかくまったといわれているが,塔の下からは何も出なかったといわれるそうです。塔に刻き ざまれた文様から,初代谷山氏の慰霊塔では無いかとの説もあるそうです。事実はともかくロマンがある史跡です。史跡の見学には鹿児島市教育委員会事務局管理部文化財課が発行している鹿児島市「史跡めぐりガイドブック」を参考にさせていただきました。このガイドブックは鹿児島市役所で手に入りますが、県外の方でも市役所に問い合わせると有償で郵送してもらえます。1冊1200円ですが、写真と地図がありとても参考になるガイドブックです。
とっても良いです。
ロマンチック。
住宅街に突如現れる史跡に驚きます。
住宅密集地の中の、住宅敷地内にあります。車を停めるところはありませんので、近場の市役所支所に停めさせてもらうか~というところですが。電車かバスで来るのが一番最適かもしれません。225号線の本町交差点からローソン側に歩いていると、川を渡る直前に「伝・豊臣秀頼の墓」という標識が出てきます。あとはそれに誘導されるがまま歩いて行くだけなのですが、私有地だらけですので不用意に人の家の庭に入ってしまわないように十分気をつけてください。案内板にもあるとおり、実際は違うよ~的なオーラは漂ってますが、まあそれはそれ、是非大河ロマンを感じつつ見るにはおすすめな場所です。
名前 |
伝)豊臣秀頼公墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
099-227-1962 |
住所 |
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HP |
https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/shisekimeguri.html |
評価 |
4.0 |
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住宅街の中、一軒家の庭にあり、分かり辛かった。駐車場は無く、路駐してさっとお参り、写真撮りました。