平塚の地名の由来、歴史を感じる塚。
平塚の塚緑地の特徴
平塚の塚緑地は地名由来の重要な史跡です。
桓武天皇の子の墓とされる歴史的な場所です。
平真砂子が埋葬された塚の謎に触れられるエリアです。
神奈川県は平塚市に有ります「平塚の塚」緑地です。これまたニッチな知らなかった歴史の一片です。因みに本当に何も無く、緑地公園に石碑と小さな観音様が立つだけです。完全に歴史オタク向け認定です。何時もの様に頭の中で、当時有った出来事を想像する想像系史跡ですね。説明書によると江戸時代の天保十一年(1840年)幕府によって編さんされた「新編相模国風土記稿」の中に「昔、桓武天皇の三代孫である高見王の息女・政子姫が東国へ向かう途中、天安元年(857年)二月この地で逝去した。棺はここに埋葬され墓として塚が築かれた。その塚の上が時が経つにつれ平らになったので、里人はそれを【ひらつか】と呼んで来たという。これが平塚という地名の起こり」との事です。へぇ〜という感じですね。平塚市の皆さんは、この話し知っているのでしょうかね?自分は平塚市が地元では有りませんが、興味深くて勉強になりましたね。マニアックな話しになりますが…現在は高見王の存在自体が研究者からは疑われていて、高見王は高見王の子とされている平高望(高望王)であり、混同されているのではないかとされています。(つまり高見王と高望王は同一人物)という事は息女の政子姫は、平清盛を輩出した平国香や、平将門を輩出した平良将や、坂東武家平氏を輩出した平良文と兄弟という事になりますね。(姉弟か、兄妹かは分かりませんが)平氏の姫様安らかにお眠り下さいという感じです。平塚市は歴史の古い地なのですね。
桓武天皇の子の墓があったそうです。
平塚という地名の発祥地、という割には、クチコミも少なく、人気がないですね。塚というと、こんもりとした円墳を連想しがちですが、見ると、平らな草地の中に石碑がたっているだけです。ですが、訪れる人の少ない公園と考えれば、とても静かなところで、ゆっくり休むには、いいです。屋根のついた休憩所もあり、急な雨をしのげるし、夏の暑い日差しも防げます。隣には広い空き地があり、春には桜が満開になります。入口に段差もないですから、車椅子の人も入れます。なお、お姫さまの話は、天保十一年に幕府によって編纂された資料を根拠としています。天保といえば、すでに幕末です。1800年代でしょう。お姫さまががなくなったのは、西暦857年とされています。その間、実に千年の歳月が流れています。しかも、なんらかの古文書があるならともかく、里人の伝承を元にしたとあります。千年もの間、語りつがれているうちに、話の骨格ができあがってきたと考えるのが自然です。高見王の娘政子とか、天安元年2月という、やけに具体的な話も、デマの可能性を高めます。私としては、信憑性を疑わざるを得ません。しかし、違うと否定する資料もないわけです。運が良ければ、この地でなくなったというお姫さまの亡霊と昔話ができるかも、なんて思いたいですね。
平塚の由来がこの小さくて平らな塚だったとは!平塚在住の方いってみてね(^-^)/
姫様のお墓。円方墳です。
桓武天皇三世の孫、高見王の娘である平真砂子が都より東国へ下向の途上、 相模国の海辺の里で長旅の疲れからか急な病を得て亡くなったとのこと。 土地の人々は遺体を塚を築いて葬り、これが「平塚」の由来となったそうです。
北条政子ではなく、平政子の塚、お墓です。“平塚”の地名の由来とも謂われるもので、行って見てみると感慨深いものがあります。
地味ですが、平塚の地名の由来になった場所です。
平塚の地名となった塚です。
名前 |
平塚の塚緑地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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『平塚』という地名の由来の場所です。(諸説あり)5月ということもあり、新緑がとてもキレイでした。