歴史の舞台、加古川評定の地。
加古川城跡の特徴
加古川城跡は昔の戦の舞台だった場所です。
称名寺の境内にある歴史ある城跡です。
加古川評定の有名な場所として知られています。
元加古川市民です。小学校の同級生に「カスヤ」姓の女性がいました。漢字までは覚えていないけど、もしかして末裔?滅んでいるから、それは無いか・・・
遺構はありません。説明板があります。
【織田軍明智、羽柴などなど来ている、別所との戦いの始まり】正月加古川城にて羽柴愚行により、別所との戦が始まる。
称名寺の境内が加古川城跡。静かなお寺です。
加古川城の歴史は平家追討の戦功により源頼朝より、この地を与えられた関東武士の糟屋有季の孫・糟屋有教によって承久の乱(1221年)以降に築城してますが平城構成の土塁と堀で囲った生活館だったと思われます。なので現在の寺の構造が当時に近いかもしれません。廃城は元和元年(1615年)江戸幕府の将軍は2代目・徳川秀忠なので播磨守護の要所として長期にわたって存在したようです。他の方も書かれてるように「加古川評定」で一躍有名で表に出てきた城ですが拠点にしていた糟屋一族も時代の激流に翻弄され、当時の十一代城主・糟屋朝正は別所氏に付いて三木城へ入場・跡継ぎの十二代目・糟屋武則も兄と共に三木城へ入場しましたが黒田官兵衛の説得で加古川城へ戻り、官兵衛の推挙で秀吉の小姓頭となり兄と戦うことになります。その後も秀吉に従い賤ケ岳戦いでは七本槍の一人として名を挙げて大名にまで出世します。時代は進み、関ヶ原の戦いで武則の息子・宗考が西軍に付いたため最終的に領土は没収、城は廃城となり歴史に幕を閉じましたが、菩提寺として一族が信仰した称名寺が残っているのは何かの縁かもしれません。説明板だけでは「こんな場所か」程度ですが、歴史に残る七本槍の一人がここから出ているとか調べると中々に面白い場所と思います。
お寺の中で城跡不明、碑も無いですよ。
有名な加古川評定の場所ですね。
名前 |
加古川城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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昔加古川城があった所です。現在、称名寺と云うお寺になっています。大きなイチョウの木があって秋は黄色く色づいて見事です。