卑弥呼と卑弥弓呼の神秘。
卑弥呼神社の特徴
鹿児島神宮の近くに位置する、歴史的な神社です。
卑弥呼と卑弥弓呼を一緒に祀る珍しい神社です。
無人の社で静かな雰囲気を楽しめるスポットです。
石體神社のすぐ隣にある、とても小さな神社です。名前の通り「卑弥呼」を祀っており、歴史好きや神話ファンには気になるスポット。社殿は質素ながら清らかな空気が漂っていて、地元の方に大切に守られているのが伝わってきます。実際に訪れると「なぜここに卑弥呼?」と少し不思議に思うかもしれませんが、隼人の地が古代から交流や信仰の拠点だったことを感じさせます。歴史的な資料は多くありませんが、石體神社が鹿児島神宮の元宮とされる場所であることを考えると、古代日本の伝承や神話との結びつきを想像するのも楽しい時間です。観光地として大きく紹介されているわけではないので、訪れる人も少なく静か。石體神社とあわせて立ち寄ると、よりディープにこの土地の歴史と信仰を感じられます。神話好き、歴史好きには隠れた穴場スポットだと思います。
卑弥呼伝説のある神社、卑弥呼(女)と卑弥弓呼(男)と争ってたと書かれている。
こんなところに卑弥呼さま~。縁結びって何の縁を結ぶのでしょう。由緒書きからは伺えなかった。「卑弥弓呼(ひみここ)と争いの最中に亡くなった」では…卑弥呼像(?)は200年程後の時代の埴輪に寄せてあった。
鹿児島神宮の帰り道に見つけた変わったお社です。女王卑弥呼を御祭神とした神社は初めて参拝しました。
二泊三日で鹿児島県内の五社を巡る旅。番外編のニ社目は、鹿児島神宮の末社卑弥呼神社。石體神社の隣にあります。祭神は卑弥呼です。神主不在の社のため朱印はありません。
鹿児島神宮のすぐ近くにあり、名前に惹かれて行きました。縁結びの神様らしいです。
この神社は鹿児島神宮末社です。鹿児島神宮社頭から川沿いに右に行き、市立隼人歴史民俗資料館前を通り、尚も150mほど進むと、左手に鎮座しています。この付近はかつて日向三代の宮居である高千穂宮が築かれていた地と伝えられています。卑弥呼という名に惹かれた方は是非とも足を運んでみてわ。御祭神:卑弥呼女王由緒:魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の女王・卑弥呼が国分・隼人地区に居城を持っていたという由来に基づき建立された神社です。卑弥呼は日本最初の国王であり日本の統治者であった。当時 神武天皇及び天皇の率いる軍隊が中国の魏の国を助けてたくさんの褒美をもらっていた。近年、吉野ヶ里遺跡が分かってから邪馬台国はいよいよ九州説に決定した。国は九州の薩摩から博多まで及び、博多の南の反抗する国が吉野ヶ里である。
女王の卑弥呼と男王の卑弥弓呼は敵対していたが、卑弥弓呼は鹿児島神宮の祭神と仲が良かったので、卑弥呼と卑弥弓呼を一緒に祀っているそうです。
鹿児島神宮の前に一種異様な雰囲気を醸し出す神社があります。謎の女性像、奥まった場所にある社殿…。近付いてみると、御覧の通り卑弥呼神社との事で、隼人・国分の地が邪馬台国だというのです。うーん…邪馬台国近畿説と九州説、そしてさらに魏志倭人伝の航行の日数と海底遺跡から沖縄説という異説まで観た事はありますが…。隼人・国分が邪馬台国の根拠はどこにあるのか、邪馬台国と争っていた南にある狗奴国がどこにあるのか、由緒書きの看板だけではついぞ分かりませんでした。まあ、海幸山幸伝説は宮崎も鹿児島もルーツを主張していますし、神武東征の地は宮崎の美々津が有名ですが、大隅半島にもその地を名乗る神社があります。どこも我こそが祝福された土地だと言いたがるものだよなあ…と思いながら私はガラケーのシャッターを切ったのでした。
| 名前 |
卑弥呼神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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卑弥呼神社(ひみこじんじゃ)卑弥弓呼神社(ひみここじんじゃ)※ 卑弥呼邪馬台国の女王※卑弥弓呼(ひみここ)邪馬台国と争っていた狗奴国の男王でのちに大和王朝になったと推定される魏志倭人伝に記されている邪馬台国の女王 卑弥呼が国分隼人地区に居城を持っていたという説に基づいて建立された神社中国の史書『三国志』の『魏書』東夷伝の中で素不和(素より和せず)という表現により昔から知っている敵対者だった両者を祀りわが国の平和と発展を願い創建された神社(かつては夫婦であった…とか)*****邪馬台国がどの地にあったのか?謎のままですが卑弥呼神社という名の神社は全国でここだけのようです神額には三国志魏志倭人伝卑弥呼女王之社とありますが史実に基いた由緒などはないようです邪馬台国・卑弥呼・卑弥呼神社謎だらけですがロマンを感じますね参道入り口は2ヶ所で宮内原用水路に架かる卑弥呼橋からと宮坂橋からですいにしえに想いを馳せてみてください2025.8.31