西条の歴史を体感する!
旧石井家住宅の特徴
兜つくりの立派な建物は圧巻で見応えがあります。
四日市宿は一晩で700人以上が泊まれた記録があります。
家に使われている柱は一本一本が太く力強さを感じます。
兜つくりの立派な建物です。正面2階の窓は武士を見下さないように使用しないようになっていたようです。正面には漆喰の防火扉があり、火災の時には防火のために閉められるようになっていたとのこと。建物内には薬屋だった頃の薬研などが保存されていました。柱や梁の木が美しくて素敵でした。写真ではわかりづらいのですが鬼瓦に鍵の印になっています。泥棒除けとのことです。
四日市宿は、一晩でどの位の人が宿泊したかと云うと、700、800人から1000人泊まれたと記録に残っています。幕末には1200人は泊まれたそうです。長州と幕府軍が戦争したときの幕府側の宿営地になったようです。その時四日市で宿泊出来る家をしらべあげた。間取りを記録した街並図が残され発掘により、間取りの正確さが実証されました。兜造(かぶとづくり)兜を思わせる外観。瓦葺のものは全国的に珍しい。防火戸が一枚だけ再現されているが嘗ては防火戸として街道側の開口部分を覆うようにつかわれていた。現在移築されている建物のまえに再現されているのは西国街道だ両脇の砂利の部分は溝があったことを示す。江戸時代に酒造業、幕末には旅籠、明治初期には薬屋を開業していた。大名などは、広島藩経営のお茶屋に宿泊し、そこは大名の本陣となる。身分もそれなりの武士は宿場の旅籠などには宿泊せず。商家に宿を取った。旧石井家住宅には数多くの刀掛けが残っている。.高級武士の宿をしていたからか、お供の分もふくめ多くの刀掛けが残っている。代官が宿とした記録が残る。鶴亭日記第2巻文化8年に記録されている。また座敷は俳諧興行にも使われ、小倉屋彦十郎宅で野坂完山等と俳諧(連句)を興行した。鶴亭日記(野坂完山著)第6~13巻(文政3~9、1820~26)に記録されている。建物には押入れが無く長持ちに収納していた。タンスなどに記されている元号には寛政以前のものがあり、建てられる以前から建物があったことを伺わせる。座敷の仕切の襖は4枚引きになっており、広い空間の続き間ができるようになっている。建物には押入れが無く長持ちに収納していた。タンスなどに記されている元号には寛政以前のものがあり、建てられる以前から建物があったことを伺わせる。一般 150円(団体135円)、高校生以下は無料 なお、後期高齢者医療被保険者証・身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳の交付を受けられている方、ならびに、その介添者の方は、無料で入館いただけます(各手帳等を係員にご提示ください)。
家に使ってる柱の一本一本が太い。さすが昔の家って感じ。今あるのは母屋だけらしい。東広島市の駅近くにある古いスポーツ店の斜め向かいくらいの位置にあったらしい。元々は酒屋で、昭和頃まで薬屋を営んでいたとのこと。展示品にも調剤用の道具あり。
名前 |
旧石井家住宅 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-421-6393 |
住所 |
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HP |
http://www.city.higashihiroshima.lg.jp/kanko/bunka/4/6424.html |
評価 |
4.5 |
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西条に住みながら西条の歴史を知らない方、多いのではないのでしょうか。江戸から明治にかけて、現在の酒蔵通り付近が、西国街道の宿場として少し栄えたことくらいを知っておけば、あとは係員の方の説明で十分に楽しめます。ほぼマンツーマンで解説してくださるので、たくさん教えていただけます。150円は安すぎるくらいです。