清浄な森神社で神聖なひととき。
馬見岡綿向神社の特徴
滋賀県蒲生郡日野町にある立派な拝殿が魅力です。
神聖な雰囲気の中で、心が癒される空間です。
美しい建築が訪れる人々を惹きつけます。
24年05月 日野祭に行きました。晴天に恵まれ、活気あふれる祭でした。お神輿三基や山車十基、見ごたえがあります。22年05月 参拝しました。
神様の使いの猪です。足腰が強くなるように触れさせてもらいました。合掌神社はさすが蒲生家にも近江商人にも篤く信仰されただけあって、荘厳で美しく、神秘感も漂ってました!
会津若松の地名の由来なった森神社境内は大変手入れよく、清浄でチリ一つおちていない。掃き清めたような雰囲気。思っていたより大きな神社で、しかも造作等が素晴らしい。日野という町はやはり凄い。日野は中世以来の都市で、日本で最も古い都市であるらしい。綿向神社の近くにあるのが若松の森で、蒲生氏郷が会津黒川に移封後、黒川を会津若松と改名したのは、この若松の森に由来するらしい。東北出身なので、会津若松は小学校の遠足の定番だったし、白虎隊は「英雄」として語り継がれていた。その会津が実は日野の殿様だった蒲生氏あっての街だったことを知ったときには「さすが近江の殿様」とうれしかった。いまでも会津若松市には甲賀町(もとは日野町であったが「火の町」に繋がるとして日野のとなり甲賀へと町名を変更)や何件か近江屋の屋号を持つ商店が存在する。また会津の名産である会津漆器は、会津の漆と日野椀の技術が融合したものらしい。おそらく氏郷は当時は後進地であった奥羽に、日野の人々を有能なテクノクラートとして連れていったのではないか。彼らを連れていけば、新しく城下町を作ることは容易くなる。城下町を近隣の商業の中心とすることも容易くなる。なんといっても彼らは先進的な工芸、商業、遠隔地交易や社会の生成において先進的な技術を身に着けていた人々だ。それほど当時の日野は、近江は「先進地」だった。そして日野の人々も地生えの蒲生氏によく懐いたのみならず、この殿様が民に利をもたらすことを知っていた。ゆえに松坂でも会津でも、ついて行った。蒲生氏郷は有能な戦闘指揮官、文化人、行政官だった。しかも古くからの豪族で信長の娘婿という筋目もよかった。優秀すぎる故に秀吉に疎まれ、90万石の大封をもって辺境の地の会津へと移封されてた。などと考えながら境内を歩くと、大変に気分がよかった。
立派な拝殿。この地域の神社の成り立ちが関係しているのか、拝殿が本殿から離れている神社が多く感じる。
馬見岡綿向神社の拝殿は前側に独立した構造です。
日野城跡に行った後に、近くにあったので行ってみたのですが、想像していた5倍?の立派な光景に驚きました!日々、手入れされているのがわかる美しさの中にある重厚感たっぷりの鳥居がまず目を引きます!緑がたっぷりで心が解ける感じです。古い絵馬なども掲示されており、丁寧に、愛され続けてきた神社さんなのだろうなと感じさせられました。御朱印は書き置きが日付いりで無人で置いてありました。(日付入りだなんて親切ですね)その横に300円の拝受料を納めるパターンです。こうゆう時、日本って凄いなと感心します。こちら、猪所縁もあるようで、導かれたり、救けられた話はほかでも聞きますが、野性の本能と言うのでしょうか、動物の危機管理能力って凄いですよね。因みに、撫で猪と言うものが有り、コロナ対策バッチリの!エアータッチでしたよ!何から何まで完璧です!{携帯の電源はお切りください}との表示があったにも関わらず、この、美しさを!参れずにいる母にも見せたくて撮ってしまいました!ごめんなさい!
御朱印について:去年(2018)の夏(8月)は係の人が直筆で書いてくれたんですが、今年(2019)の2月は、書き置きになってました。書き置き自体は幾つかの寺社で経験してるので、それは構わないのですが、よく見ると文字そのものもプリンターの印刷でした。多くの参拝客が訪れる初詣に合わせてたりしてるのかも知れませんね(手書きだと間に合わない)。憶測ですが。御祭神天穂日命(あめのほひのみこと)天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)御由緒当神社の起こりは、東方に気高く聳える綿向山の頂上に、神武天皇の御宇出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇六年(545)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。その後、平安時代の初期、延暦十五年(796)に里之宮として、現在の地に遷し祀られたという。以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の里の大宮として、何時の時代も当地の産土神と、人々の信仰の中心となってきた。殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は、氏神として尊び庇護し、更に江戸時代に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力にも支えられ、出世開運の神として崇敬が集められ、明治九年郷社に、同四十二年県社に列せられた。そして、今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。その始め嘉応二年(1170)とする春季例大祭(五月二・三・四日)は日野祭と称し、三人の神稚児や三社の神輿、十六基曳山車を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、県の指定文化財に指定されている。なお、綿向山頂(標高1110米)に祀る奥之宮(大嵩神社)は、古来より二十一年毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。
名前 |
馬見岡綿向神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0748-52-0131 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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2024/5/3関東に向かう際、7:30頃に日野町を通ったのですが、町内のあちこちに神輿?山車?が神社に向かう前で待機していました。子供たちが神輿に乗ったりして凄く微笑ましかったです😊自分が知らないだけで、日本には沢山の祭りが今でも、『引き継がれているんだな〜』と思いました😌2020年【参道】が芝生で上賀茂神社のように開放的でした。【本堂】は今まで見たことがない作りで(ここら辺では普通?)珍しいと思いました。庭もこじんまりとしていましたが石橋など有り綺麗でした。昔 関東から街道を歩いて帰ってくる時に小判等の大金を盗賊に奪われないよう松の土に隠して無事に持って帰った時にお礼として植えられた 【千両松】など有り、教科書等には載ることはないですが、隠れた歴史なども知ることと出来て良かったです。二回目に訪問したときは、夏の昼間で暑かったですが、天気も良く、さるすべりの花が綺麗でした。