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最初の鳥居は石鳥居、その後ろに朱塗りの鳥居が連なっているのですが、手前の方の鳥居の扁額に「正一位 稲荷神」とあるのに後ろの方の鳥居の扁額には「朝日大明神 槍先大明神」とありました。おそらく別々のところにあったお稲荷さんがこちらで合祀されたのでしょう。明治維新ののち政府は国家による神社の統制を厳しくして、内務省命令で小さな神社は次々と潰して大きな神社に移転させたり合祀させたりしたようですね。ここの神さまもその犠牲者かもしれません。神仏分離、廃仏毀釈で明治時代になってから佛教は多大な被害を被ったことは有名ですが、神社の側も国家による神道の国教化によって小さな神社が酷い目にあわされたことがもっと知られていいと思います。