夏目漱石参禅百年記念碑へ。
夏目漱石参禅百年記念碑の特徴
東慶寺山門に向かう参道に位置しています。
夏目漱石参禅百年記念碑が目を引きます。
歴史を感じる場所で心が落ち着きます。
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| 名前 |
夏目漱石参禅百年記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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東慶寺山門に向かう参道脇に「夏目漱石参禅百年記念碑」がありました。東慶寺には、御朱印を頂きに何度も訪れていて、石碑は目に入っていたのでしょうけれど、全く意識していませんでした。平成 6年11月に漱石の参禅百年を記念して建てられたそうです。漱石は、神経衰弱療養のため、円覚寺の帰源院にとどまり、円覚寺管長釈宗演に参禅、このときの様子が「門」に描かれているそうです。この18年後、東慶寺の住職となっていた釈宗演を再訪した時の様子が「初秋の一日」に書かれ、その一部が石碑の下段に、上段には釈宗演の手紙の一部が刻まれているそうです。27年経って文字は、かなり読みにくくなっていますね。参禅100年記念であれば、石碑は円覚寺に建てるのではと思いますが、案内板にある「その顰に倣った」場所に建てたという話があるそうです。「門」は学生時代に読んだことがありますが、背景や実際に行ったことのある円覚寺を思い浮かべながら、また読んでみたくなりました。下記は、案内板の内容です。夏目漱石参禅百年記念碑平成六年十一月九日漱石忌建立漱石は明治二十七(一八九四) 年末より翌年一月十日 まで円覚寺内の帰源院(石段の真向かいの寺)に止宿し、 時の円覚寺管長釈宗演(一八五九~一九一九)に参禅 した。帰源院には当時帝大の哲学生鈴木貞太郎(後の大拙居士)も参禅中であった。この参禅の体験は「門」に くわしい。十八年後の大正元年(一九一二)九月十一日 当時この東慶寺に遷住の宗演を再訪した。碑の上段の宗演の書簡と下段の漱石の文は、それを示す書簡の「鹿山に来山」とは瑞鹿山円覚寺に来山して参禅したということ。Zは満鉄総裁中村是公「その顰に倣った」とは「連れション」のこと、ここが文学である。宗演は漱石来参の前年(一八九二)秋、シカゴの 万国宗教大会に日本仏教代表として出席し禅を英語で説き、後に鈴木大拙渡米しZENが世界に知られるに至る。漱石のこの文中に宗演を「智識」と讃えるとおり、釈宗演は近代仏教界の高僧である。宗演の墓は当山寺墓の奥に在る。