土蔵相模跡、歴史が生きる場所。
土蔵相模跡の特徴
高杉晋作や伊藤博文が密議をした歴史的重要な場所です。
昭和初期まで存在した伝説の土蔵相模屋跡が残るエリアです。
品川宿にあった遊廓の石碑と説明板が設置されています。
建物は昭和初期までありましたが、現在は無く一階にコンビニエンスストアが入ったマンションとなっています。旧東海道に面した飯売旅籠屋「相模屋」は、外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。この土蔵相模は品川でも有数の規模を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所としても知られています。
品川神社参拝後に通りました。幕末の長州藩が幕府に秘密裏に英国留学生「長州ファイブ』を送り出す際、こちらで壮行会を開いています。その席には、後の井上馨らが藩から拠出された渡航費用を5人で妓楼で散財してしまい、足りなくしてしまった分の補填+αをお願いし見事に解決してくれた大村益次郎も同席されていたようです。
土蔵相模跡御殿山にイギリス公使館が建設されることになり、高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文らが、その建設途中の公使館を焼き討ちする密議をした宿。公使館のそばです。司馬遼太郎のある作品に詳しく書かれた状況を思い出す。焼き討ちの後、高杉らは、ここを宿に一月ほど酒と女で生活をしながら身を隠した、というような話も描かれていた記憶がある。その宿が、御殿山からあまりにも近くにあるのに驚く。私の学生時代までは、土蔵相模は昔のままの姿で宿として経営されていた。今は、コンビニに姿を変えている。土蔵相模の模型が、品川歴史館に保存されている。昔、旧東海道側の入り口から覗くと広い土間があり、そこで旅の草鞋を脱ぎ、足を洗ったのだと思った記憶がある。
説明看板のみ。特に歴史を感じる遺物はありません。
品川宿にあった「相模屋」という高級妓楼は、土蔵づくりから「土蔵相模」と 通称されていたそうです。高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく使われ、 また、桜田門外の変を起こした浪士たちも、前夜ここに投宿したとのことです。
現在は、ただのマンションになっています。
品川かるた!み!しながわeyeでキッタンにインタビューされたけどわからなかった、40年北品川に住んでるんだけどな、、、くやしいー!
石碑と説明板があります。
桜田門外のクーデターを起こした水戸浪士達がそのクーデターを起こす前夜に高杉晋作と密議をした大妓楼跡で歴史的に重要な場所🍀🍀🍀
名前 |
土蔵相模跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.7 |
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ここがあの土蔵相模かと言っても想像もつかないよね昭和ならば妓楼 土蔵相模を知っている古老が居たでしょう落語の居残り佐平次や品川心中の舞台は品川宿まさにこの辺りが舞台な訳ですが栄枯盛衰品川駅が品川宿の北に出来てしまい今では大繁盛こちらは駅より南なのに北品川とおかしな事になり、鉄道開通の影響で宿場は衰退宿屋、妓楼、女郎屋の面影は無い。