磯城瑞籬宮跡に立つ神秘。
志貴御縣坐神社の特徴
志貴御県坐神社は崇神天皇の磯城瑞籬宮跡地に位置する神社です。
鳥居からは龍が空へ飛び立つ神秘的な光景が見られるという噂があります。
伊勢街道と大和川に囲まれた神社は、歴史を物語る特別な場所です。
大和国六御縣神社の一社、論社を含め八社あります、崇神天皇「磯城瑞籬宮跡」とも案内書きにありました、宮跡はこの神社の境内ではなく、境内の西側にある天理教会の建物とその北隣りの三輪小学校のあたりにあったと推定されています。古代の祭祈跡の磐座が綺麗に4つ並んでいました 駐車場はありませんが、境内鳥居前にちょっと止まました。
4つの磐が並ぶ磐座に近づくと霊気を感じるのは私だけではないでしょう。崇神天皇の宮があったとの伝承もうなづけます。右手を抜けて少し北に歩けば平等寺を経て大神神社に至れます。
初めて伺いました三輪の恵比寿神社の宮司さん聞きました。
延喜式神名帳の河内國志紀郡の項に志貴縣主神社と記載のある式内大社。当社の御祭神は神八井耳命のほか、天照大神、春日大神、武甕槌命、天児屋根命、比咩大神、住吉三神、神功皇后を合祀している。当地は大和朝廷の直轄地として「志貴の県」といわれ、ここを管理していたのは、神八井耳命の後裔にあたる志貴県主と同族の志貴首であったので、祖神を祀る神社として創建されたものといわれている。平安時代、国司は国府の近くに総社を設けることが多かったが、当社は河内國の総社であった。地名に惣社とつくのはその名残。境内には河内国府跡の石柱が立っている。ここは国指定史跡の国府(こう)遺跡といわれ、2万年前の旧石器時代からの複層遺跡で、弥生時代の層からは人骨が80体分出土している。ここから北に100mほど行ったところに式内社の黒田神社があり、そこは神八井耳命のかくし廟ともいわれている。
神社の前に立って振り返ると、すぐ南に伊勢街道が通り大和川が流れています(見えませんが)。外鎌山や朝倉、忍坂などの聖地もすぐです。背後には三輪山が温かく見守ってくれていて、今でも何やらありがた~い気分になる土地です。崇神天皇の宮の場所は他にも説があるようです。しかし崇神天皇自身が大物主の神を祭る場所を三輪山に定めたのだからここに宮殿があったことは不自然なことではないでしょう。それにしてももう少し整備されてもいいような気がしますが。天理教の立派な施設が眼前にあるので少し寂しい気がします。
かつて崇神天皇の皇居があった所だそうです。山辺道(やまのべのみち)を散策するついでに参拝すると良い事があるかも知れません。
地元の崇敬者の方から、この神社の鳥居から龍が空へ飛び立つ所を見た方がいる、というお話を聞かせていただきました。不思議な場所です。
十代ミマキ(崇神天皇)の世の、3年(アスス623年)のナツキ(9月)にシギのミツカキ(桜井市金屋)にニイミヤコ(新皇居)を開かれました。ホツマツタヱ33アヤ『カミ(祖先)アガメ ヱヤミ(流行性疾病)タス(直す)アヤ』に典拠あり。(C) 池田 満日本ヲシテ研究所 「ヲシテ文献 大意」 解説文より。
志貴御県神社しきのみあかたにますじんじゃ奈良県桜井市金屋896祭神大己貴神式内社(大)御県神社は皇室への蔬菜を中心とした食料供給及び警備拠点としての意味がありました大和国には高市、葛木、十市、志山辺、曽布の六社でそのひとつ崇神天皇の磯城瑞籬宮の伝承地。
名前 |
志貴御縣坐神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33891 |
評価 |
3.9 |
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志貴御縣坐神社、奈良県桜井市金屋。磯城瑞籬宮跡、崇神天皇関連社、古代祭祀場・磐座。交通の要衝。林がよく見える。この場所で小さな宮を築いたのかと興奮する。大兵主神社そば、纒向日代宮の伝承地も狭く感じられた。同じような、小さな宮を感じる。