古い神社が美しく守る。
阿彌神社の特徴
カッコいい雰囲気を持つ、地域に愛される神社です。
御祭神は豊城入彦命・経津主命で歴史があります。
きちんと整備されており、訪れると落ち着きます。
カッコいい神社でした。
御祭神は豊城入彦命・経津主命。和同元(708)の創建。崇神天皇18年に豊城入彦命が東国平定の際、普都大神が登天したこの地を訪れ、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都実に能く天業を輔弼せり、両神功成りて天に還りしは蓋し是の地なるか」と述べたことをを偲んで、御祭神を祀る祠をこの地に建立したと伝えられる。江戸期には「大明神」又は「鹿島明神」と尊称され、少なくとも近世においての御祭神は鹿島神(武甕槌命)であったようです。当社は、延喜式神名帳「常陸国信太郡 阿彌神社」式内(小)社に比定される論社ですが、他の論社としては同町竹来に鎮座する同名社があり、江戸期には、さらにもう一社・熊野神社(後に衰退し当社に合祀)を加えての式内社論争が沸き起こり、それを受け天明元(1781)年に「大明神」から「阿彌神社」に改称したという経緯があります。明治7年郷社列格。広大な樹叢の中の竹来の阿弥神社に劣らぬ広々とした社地に鎮座しますが、こちらは幹線道路が交差する住宅街の中、よくもこのだけの社地を保持されたと思わざるをを得ません。さてこれにて、延喜式神名帳 常陸國二十八座中、二十七座の参拝(論社含む)となります。残るは、旧・信太郡の一の宮「楯縫神社」を残すのみ。ちなみに、聞きなれない信太郡(しだぐん)ですが、白雉4(653)年に筑波郡・茨城郡の700戸を分かちて成立し、意外に最近の明治29年まで存続した郡名です。
雰囲気あります。
古い神社ですが、キレイだと思います。
神社というと鳥居をくぐって石段を登って…というのが一般的かと思います。阿見町は平坦な土地なので、神社の参道もやや傾斜している程度で、初めは不思議な感じがしました。しかし、よく管理されていて素敵なスポットだと思います。
おちつきます。
ミンミンゼミが五月蝿いです。
大きな神社です。
いつもお世話になっております。
名前 |
阿彌神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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