織田信長公が築きし浄厳院。
浄厳院の特徴
織田信長公が再興した歴史ある浄土宗のお寺です。
田んぼの中に立派な門がそびえ、印象的な景観を演出しています。
境内はきれいで、迫力のある仁王像が見られます。
現代美術のイベントを見に行きました。お寺の雰囲気とよく合っていました。ご本尊の阿弥陀様もよかったです。
近江八幡市に住んでいるのですが、浄厳院現代美術展を知って、初めてお伺いしました。こんなに近くに、こんなに立派な織田信長創建のお寺があるとは全く知りませんでした😅アート🎨とお寺、相乗効果で、アート🎨もお寺もより良く見せて頂きました😄本堂で住職様直々に浄厳院のお話と案内もして頂けて、とても有意義な時間でした✨お寺は広いですが、お寺に来る道は狭いので、気を付けて運転🚗して来て下さい😅それから、同じ近江八幡なのに、やはりお寺だから⁉️重ね着👕される事をオススメします💦特に足元が冷えますので、靴下は厚めがオススメです✋
田んぼの中に立派な門が、そびえたってます。目立ちますね。境内も広く、大きな本殿ありますが、中は拝観できません。御朱印もないです。
歩行者は正面から、車は正面入り口左の道を進んで右側から入れます。お手洗いは敷地中央にあります。
境内も墓地もきれいです。門がすごく良いです。雨の合間にお参りしました。帰り車に乗るまで、雨は降らず、乗ってから直ぐ雷と雨になりました。
織田信長公の安土宗論の舞台です。安土のエリアで目立っている場所です。
要予約らしいです。
この寺はもと天台宗慈恩寺と称し、近江守護佐々木氏の菩提寺であったが、戦乱により廃寺とはなったが、織田信長の安土築城と同時に再興され浄土宗に改宗された。この寺は安土争論の舞台であった。天正7年(1579)信長の命により浄土宗と日蓮宗の僧による仏教論争が当寺で行われた。裁定の結果、宗論は浄土宗の勝利となった。信長公ゆかりの寺であり、信長に思いを馳せた。
本堂の仏像拝観は要電話予約。9-16時半。織田信長が愛した重要文化財の巨大な阿弥陀像や本堂、朱塗りの楼門が美しい。7000坪の境内は梅や桜の名所。平安・桃山文化を堪能できる。本尊の阿弥陀座像は、犬上郡甲良町下之郷にあった二階堂宝蓮院(信長により破壊される)の本尊を信長が分捕っていったと下之郷の地元に伝承されている。阿弥陀如来像は、馬での移送中、何度戻してもいつの間にか元あった二階堂宝蓮院の方へ向きを変えたという。重要文化財(国指定)本堂 - 入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面6間(「間」は柱間の数を表す)。信長が多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移したものである。楼門木造阿弥陀如来坐像 - 像高273cm。平安時代。厨子入舎利塔厨子入銀造阿弥陀如来立像 - 像高7.8cmの小像。鎌倉時代。銀製の仏像として稀有のものである。絹本著色山王権現像絹本著色阿弥陀聖衆来迎図。
| 名前 |
浄厳院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0748-46-2242 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
滋賀県にある浄厳院は、織田信長が安土城築城と同時期に近江・伊賀両国の浄土宗総本山として創建した寺院です。もともと金勝山にあった浄土宗の寺院を信長が城下町に移転させ、菩提寺である慈恩寺の跡地に建立しました。浄厳院と織田信雄の主な関係⦿創建浄厳院は、織田信雄によって安土城築城と同時期に創建されました。⦿移転 もともと金勝山にあった浄土宗の寺院を信長が安土城下町に移転させました。⦿文化財浄厳院には、本堂、釈迦堂、鐘楼、桜門など多くの文化財が残されています。本堂と桜門は国の重要文化財に指定されています。安土宗論天正7年(1579年)に浄土宗と日蓮宗の間で『安土宗論』と呼ばれる法論が行われた場所として知られています。この論争は、信長の命によって浄厳院で行われ、浄土宗が勝利しました。背景には、織田信雄が日蓮宗の勢力を恐れて弾圧を意図していたとされています。