源頼朝も飲んだ政子の井戸。
御所台の井戸の特徴
保土ヶ谷のいわな坂中腹に位置する歴史ある井戸です。
源頼朝の妻、北条政子が水を汲んだと伝わる場所です。
旧金沢道沿いの石難坂にある、由緒ある史跡です。
こちらは2024年06月03日の訪問となります。保土ケ谷駅近くの住宅街の坂の途中にありまして、この井戸の水を北条政子が化粧の為に使ったと言われています。江戸時代以降も天皇や将軍が保土ケ谷宿の本陣(格式の高い宿屋みたいなもの)に立ち寄った際はこの井戸の水が料理に使われたとか。
旧金沢道で鎌倉につながっていたという坂道沿いにあります。保土ヶ谷駅から徒歩10分くらい。かなりの急坂の住宅街の途中です。こじんまりとしていますが程良く整備されています。
保土ヶ谷駅から保土ケ谷橋にむかう途中、横道のいわな坂の中腹にあります。住宅街を通る車一台分の細い道に現れますが、歴史を感じる佇まいでした。近くに保土ヶ谷宿跡などもあるので、ちょっとした史跡めぐりが楽しめます。
かなざわかまくら道のいわな坂の途中にある井戸。源頼朝の妻の北条政子に関わる伝説が残されているそうです。
坂道の多いかまくらみちですがこの坂道は石難坂といいます。現在は坂道そばの緑地に井戸が保存されていて横浜市地域史跡に指定されています。別名政子の井戸と呼ばれています。政子とは、頼朝の妻で、頼朝の死後に実質的に将軍の仕事を行い「尼将軍」と呼ばれた北条政子のことです。綺麗に保存されているので貴重な史跡です。
鎌倉への道中、北条政子がこの井戸の水を飲み、休んだと言われている。明治天皇が本陣でご休憩された際にもこの水を使ったと伝わっている。
源頼朝の妻政子がココを通った際、水を汲み化粧に使った様です。今は見れませんでしたね。
いわな坂の中腹にある井戸。別名、「政子の井戸」と呼ばれる。政子とは、頼朝の妻で、頼朝の死後に実質的に将軍の仕事を行い”尼将軍”と呼ばれた北条政子のこと。この井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えがあり、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説もある。江戸時代以降でも、天皇や将軍が保土ケ谷宿の軽部本陣に立ち寄ったときには、この井戸の水が料理に使われたと言われている。観光名所としては見どころは少ない。歴史散歩ルートの1つではあるが、ここをメイン目的に訪れる人は少ないと思われる。
その昔、難所とされたいわな坂の道沿いには、御所台(御台所ではない)の井戸(政子の井戸)があります。井戸の名前の本当の名前の由来はよく分かりませんが、鎌倉時代から、大正まで800年以上の悠久の刻を、この地に渡ってきた旅人の渇きを癒やしてきました。そう想いを馳せれば輝いて見える空間です。説明版によると、鎌倉時代、源頼朝の妻(御台所)政子が、ここを通りかかった時に、この井戸の水を汲んで化粧をしたと伝えられています。また、明治天皇が本陣でご休憩された際にも、この井戸の水が使われたと言います。実は当初、政子の名を冠しているので「御台所」と思っていましたが、よく見ると「御所台」となっていました。道路の向かい側には、御所台地蔵尊があるので、名前の由来はかつての地名からなのでしょうか。
| 名前 |
御所台の井戸 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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石名坂の途中にある井戸。鎌倉時代に北条政子が井戸の水を化粧に使用したとか。また、この井戸の水は江戸時代、将軍が保土ヶ谷宿に休息した際の御膳水としても用いられた。史跡ではあるものの、時代を感じさせるものは何もない。ただ今は、閑静な住宅街にひっそりと存在しているだけである。