五穀豊穣の神、佐々久神社。
佐々久神社の特徴
御祭神は大鷦鷯命と神八井耳命が祀られています。
大鷦鷯命に由来する歴史深い神社です。
神八井耳命の信仰が息づく場所です。
御祭神は大鷦鷯命、神八井耳命。神八井耳命の名は、自分はここで初めて知りました。神武天皇の皇子のひとりで、多氏の祖だそうです。伊余国造が多氏から出ているので、祀られているのかな?と思いましたが、このあたりは小市国造の領域だったはずなので、少々不思議。神紋も『折敷縮三文字』で、越智系ですし(といっても、伊予には御祭神に関係なく三文字紋の神社さんが多い)。----佐々久山の北側の道(本来メインの参道だった?)には、現代では上水道施設があり、進入できないため廃社されたと勘違いする方もいらっしゃるようですね。現役の神社さんです。東の小径や西の小道から参拝できますよ。自分は東から徒歩でのぼりました。西からなら四輪車でも鳥居まで行けそうです(ただし途中、排水用の溝があります)。
御祭神は大鷦鷯命、神八井耳命。神八井耳命の名は、自分はここで初めて知りました。神武天皇の皇子のひとりで、多氏の祖だそうです。伊余国造が多氏から出ているので、祀られているのかな?と思いましたが、このあたりは小市国造の領域だったはずなので、少々不思議。神紋も『折敷縮三文字』で、越智系ですし(といっても、伊予には御祭神に関係なく三文字紋の神社さんが多い)。----佐々久山の北側の道(本来メインの参道だった?)には、現代では上水道施設があり、進入できないため廃社されたと勘違いする方もいらっしゃるようですね。現役の神社さんです。東の小径や西の小道から参拝できますよ。自分は東から徒歩でのぼりました。西からなら四輪車でも鳥居まで行けそうです(ただし途中、排水用の溝があります)。
| 名前 |
佐々久神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0898-68-6425 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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延喜式神社の一つに数えられている佐々久神社は、五穀豊穣の神として村人から尊ばれてきた。当初は、南端に社殿があったが天授五年(1379)細川頼之が阿讃土の兵四万をもって来攻の時、伊予の守護職、河野通尭はこの地に陣をしき坑戦したが敗死。頼之は当社に放火し、社殿、神器すべて焼失した。後に跡地へ小社を建立したが、亨保十二年(1727)五月に現在地へ遷座したと伝えられる。また、元禄十四年(1701)の旱魃時に藩命により十七日間祈雨祭を行ない、瑞雨を得たので米の寄進があった。以後祈雨、祈晴、五穀豊穣の祈願が度々行なわれ神徳を得たと伝えられる。当社の祭神は、おおささぎの尊、神八井耳命の二つの神である。大鶴鷺尊は、巨大な古墳で知られる仁徳天皇で、民のかまどに煙がたつのを見て、国が富んだことを喜ばれたと云われ、善政をもって知られる天皇です。崩御された時、村人がその徳をたたえて祭ったのが神社の始まりと伝えられる。また、佐々久の社名は「おおささぎ」の語韻から名付けられたと記されている。神八井耳命は伊予の国造りをした神さまである。この神社に次のような古歌がある。「風さわぐ佐々久の神の端籬にぬさと手向くる霧のふるらん」この歌が天気を左右することを表現していると思われます。(ふるさと探訪参照)