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名前 |
薬師堂 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
2.0 |
草が生い茂り、お堂への階段も分かり難い状況です。季節外れのマムシが出てきそうで恐る恐る、お堂に近付くと鉄筋コンクリート造の小綺麗な建物で、立派な御由来の石板もあり、少し驚きました。 元々は、「慶雲寺」というお寺があったようです。由来によると貞享元年(1684年)、下右田に所在する天徳寺六世「石秀硯峭」が開山し、明治十年(1876年)、本寺天徳寺と合併し廃寺となったそうです。 毛利元具(元就の孫)が寛永二年(1625年)に熊毛三丘から周防右田へ移封となり、一万三千石を与えられました。天徳寺は右田毛利家の菩提寺となり、末寺の慶雲寺も永らく右田の邑主であった右田毛利による庇護があったものと推察されます。 しかしながら、明治維新により封建社会は終わりを告げ、右田毛利家による庇護も手薄となり、加えて明治三年の脱退騒動の兵火により本寺の天徳寺が焼失したことにより、その再建が急務となり末寺の維持が困難になったものと思われます。 このため、寺院合併により慶雲寺が廃寺となり、薬師堂が建立されたものと考えます。しかし、明治十年建立の薬師堂の老朽化が著しくなったためか、昭和62年(1987年)5月、日の本一地区有志田村氏により新築建立されています。本当に頭が下がります。🙇 御堂の中には多分、薬師如来の曼陀羅か立像が安置されているのではないかと推測しています。