義経と共に語り継ぐ忠義の墓。
佐藤継信・太夫黒の墓の特徴
義経の忠臣、佐藤継信の墓がある歴史的な場所です。
1184年の屋島の戦いに由来した深い歴史を感じます。
太夫黒の愛馬と並ぶ、伝説的な英雄の墓をご覧いただけます。
義経の盾になって討たれた佐藤継信と義経の愛馬 太夫黒のお墓。
日本人が一番感動する忠義の代表である。義経の身代わりで平家の矢に射たれて亡くなつた部下を称えて歴史に残る逸話である。1643年に松平頼重公がお墓を建てられた後々に子孫がまた立派な顕しよう碑を建てられたのです。
義経の忠臣、佐藤継信である。屋島の戦いでは有名な話だが、ここにお墓があるとは知らなかった。お参りさせていただいた。しかし、墓石の文字がなぜ違うのか?、わからん。
もとは今の墓の後の王墓池(平田池)の地にあったが、正保2年(1645)にこの池を築造した時、今の地に移した。寛永20年(1643)に初代高松藩主松平頼重(英公)が新たに標石を建てた。今の柵内の左奥にあり、後ろに五輪の石の墓塔がある。その標石の表は「佐藤次信墓」、裏には「寛永癸未仲夏上浣建之」とある(寛永癸未は1643年、仲夏は陰暦の5月、上浣は上旬のこと)。その後、昭和6年(1931)5月、継信公30世の孫、山形県人佐藤信古がこの墓地に大改修を加え、佐藤氏念祖碑や鎌田兵衛慰疑塚碑を建てて面目を一新、今日のような墓地公園となった。~高松市ホームページより~
| 名前 |
佐藤継信・太夫黒の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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佐藤継信は1184年の屋島の戦いで討死したので、この地に墓があるのでしょうが、墓は後世に作られた様子です。佐藤氏の菩提寺である福島県医王寺も訪れた事があるけど、そちらにも佐藤兄弟の石を積み重ねた墓がありました。全国にある佐藤さんは、佐藤継信の家系から広まったと聞いた事があります。