原爆供養塔で平和を祈る。
原爆供養塔の特徴
原爆供養塔は1955年に建立された歴史的な場所です。
約7万柱の引き取り手のない遺骨が納められています。
平和記念公園の近くで追悼行事が行われています。
原爆が投下された後、引き取り手のない数え切れないご遺体が集められ、荼毘に付されたのがこの地である。その地が本供養塔の始まりであり、公園が整備されるまではここで平和祈念式典が行われていた、と父親に聞いた覚えがある。今でも引き取り手のない多くの名も無きお骨がここに眠る。
原爆供養塔は、1955年に建立された供養塔です。 桃山時代の御陵を模した、芝生が植えられた丘の上に石造りの塔が据えられていて、中には納骨堂があります。 ここには一家全滅などで身内の見つからない遺骨や、氏名の分からない遺骨約7万人分が納められています。
ここには、原子爆弾の犠牲となり今だ引き取り手を無い方達の遺骨が納められています。名前も分からない方や名前が分かっていても引き取る親族の方達も亡くなってしまった方達等が静かに眠られています。平和記念公園にお越しになった人達には、親族の代わりに手を合わせ慰霊してあげて頂きたいです。そして、1人でも多く引き取られることができる事を願います。
とても綺麗な所です。供養塔に手を合わせ平和を祈りました。ここを訪れて一層戦争がなくなればいいと実感できたので来て良かったです!
爆心地に近いこの付近には遺体が散乱し、また、川から引き上げられたものなど、無数の遺体が運ばれ、荼毘にふされました。1946(昭和21)年市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、その後10年経った1955(昭和30)年広島市が中心となり、老朽化した遺骨堂を改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めました。内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められています。広島市は、氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨の名簿を毎年公開し、遺族を探しています。1955(昭和30)年に2,432柱あった遺骨のうち、今でも824柱の遺骨は引き取り手がなく、この供養塔に眠っているようです。
初めて訪れた時に早朝でしたが、市民の方でしょうか、箒で丁寧に周辺を清掃されていたのが印象的でした。折り鶴がたくさん供えられていたのも心打たれました。
亡くなった引き取り手のない遺骨を供養するため、1955年8月5日建立された。身元不明の遺骨約7万柱および氏名のみ判明している遺骨817柱が納められた遺骨箱、聖観音像、死没者名を刻んだ象牙の塔が納められている。みなで黙とうを捧げました。
原爆供養塔は昭和30年(1955)8月5日に建立されました。広島戦災供養会(広島市)が石本喜久治氏に設計を依頼。桃山時代の御陵を模した円形の土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられています。当初、市民の寄附により昭和21年(1946)に仮の供養塔や納骨堂、礼拝堂が建立されましたが、老朽化のため納骨堂を改築しました。この供養塔は氏名不詳や一家全滅などで引き取り手のない遺骨を集め、ここで供養するために納めました。内部には納骨堂があり、遺骨約7万柱が納められています。毎年8月6日に供養塔の前で、さまざまな宗教・宗派合同の供養慰霊祭が営まれています。
原爆供養塔です。平和公園の中にあります。
名前 |
原爆供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html |
評価 |
4.6 |
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原爆によって亡くなられた方、約7万柱の遺骨が納められている場所です。原爆で亡くなられた方を追悼する場所です。一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判らない方、また、氏名が判っても引き取り手のない方々の遺骨です。8月6日には、この供養塔の前で、さまざま宗教、宗派によって慰霊祭が営まれています。