歴史を感じる中山道の一里塚。
志村一里塚の特徴
中山道に残る貴重な一里塚が保存されています。
志村一里塚は国の指定を受けた唯一の史跡です。
喫煙所から歴史を感じながらの一服が楽しめます。
都内に2つ現存している一里塚のひとつできちんと保存されています。国道17号という大通りによく残せたものだ。
道路の両側に残されている一対の志村一里塚、江戸時代初期に建造され、天保元年(1830)に発行された武蔵風土記稿に「中山道往還の左右にあり」と記されているそうです。明治期以降の道路拡張や市街開発の影響を殆ど受けることなく今日まで残されている貴重な一里塚です。板橋10景の一つ。
板橋十景の一つであり、都内では西が丘と志村の二つしかないという一里塚。今は喫煙所として市民の憩いの場(?)となっています。徳川家康が街道整備のために設置を命じて作られたものとのこと。塚自体は旧中山道である国道17号線を挟んで小豆沢にもあります。地味ではありますが、保存状態は良いので地理や歴史に興味があるのならば、見に来る価値はあると思われる。
国の史跡。江戸時代、徳川家康は街道整備のために1604年、諸国の街道に一里塚の整備を命じました。志村一里塚は中山道の3番目の一里塚として築かれたもので、現在は2基1対で残っている貴重なものです。
都内に残る一里塚は志村と西ヶ原の2箇所らしい。西ヶ原と比べると小さいなぁと思っていたが、希少な史跡ではあった。
喫煙所もあり一里塚を見ながら一服できます✨
歴史を感じられる場所。
中山道に遺る一里塚。見事に遺っていて、納得の国史跡。ここに辿り着くと一里塚に魅入ってしまいます。
志村一里塚江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(一六○四)二月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、五間(約九m)四方、高さ一丈(約三m)の塚が江戸日本橋を基点として一里(四㎞弱)ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第三番目の一里塚として築かれたもので、天保元年(一八三〇)の「新編武蔵風土記稿』では「中山道往還の左右にあり」と紹介されています。幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年(一八七六)に廃を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚は昭和八年から行われた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、都内では北区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正十一年(一九二二)に国の史跡に指定され、昭和五十九年に板橋区の史跡に登録されました。平成十七年三月板橋区教育委員会。
| 名前 |
志村一里塚 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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都内に現存する2つしか無い一里塚の一つだそうです。南北両方の塚が残っているので一見の価値が有ります。