歴史を感じる一里塚散策!
志村一里塚の特徴
中山道に残る貴重な一里塚が保存されています。
志村一里塚は国の指定を受けた唯一の史跡です。
喫煙所から歴史を感じながらの一服が楽しめます。
喫煙所もあり一里塚を見ながら一服できます✨
歴史を感じられる場所。
中山道に遺る一里塚。見事に遺っていて、納得の国史跡。ここに辿り着くと一里塚に魅入ってしまいます。
志村一里塚江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(一六○四)二月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、五間(約九m)四方、高さ一丈(約三m)の塚が江戸日本橋を基点として一里(四㎞弱)ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第三番目の一里塚として築かれたもので、天保元年(一八三〇)の「新編武蔵風土記稿』では「中山道往還の左右にあり」と紹介されています。幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年(一八七六)に廃を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚は昭和八年から行われた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、都内では北区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正十一年(一九二二)に国の史跡に指定され、昭和五十九年に板橋区の史跡に登録されました。平成十七年三月板橋区教育委員会。
都内には志村と西ヶ原にのみ残る一里塚。ともに、道路拡幅のため、改めて整備し直されたのかな。説明板見る限り、昭和8年までに整備し、いまに至っているようです。しかし、一里塚撤廃の命令が出ていたなんて知りませんでした。小さい時、よくこの辺りまで探検に、高校時代は通学経路だったので、懐かしい場所でもあります。2021.2.19周りが喫煙所になってるんですね。なんだか複雑です。
三田線「志村坂上」からすぐにあります。目の前の中山道(国道17号線)沿いに両脇に残っており、2基1対の様式とのことです。板橋区の志村一里塚は、東京都内では西ヶ原一里塚(北区)とともに2ヶ所しか現存しない国の史跡となっています。(板橋10景の一つでもあるそうです)尚、志村の一里塚は中山道の日本橋から3里目にあたります。
都内では他に西ヶ原、万願寺(片側)、本宿(片側、NEC構内)、小野路(片側復元)の一里塚が現存してますが、国の指定を受けているのはここと西ヶ原のみです。元々店の後ろにあったため、道路拡幅工事で移設されることなく残っています。
都内で現存する一里塚で最も保存状態、というか管理が行き届いている印象。と言っても、都内にはここと西ヶ原しかないが。ガソリンスタンド側に石柱がある。
17号沿いにある。現存している一里塚は東京ではここと西ケ原の一里塚だけなんだそう。貴重な一里塚を保存している地域の人々に感謝。
名前 |
志村一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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都内に残る一里塚は志村と西ヶ原の2箇所らしい。西ヶ原と比べると小さいなぁと思っていたが、希少な史跡ではあった。