大垣藩の菩提寺、桜と共に。
全昌寺の特徴
西美濃三十三観音霊場の三十番札所で、静謐な環境を提供しています。
桜が咲く時期には、周辺が祭りで華やかになる特別な場所です。
大垣藩の菩提寺として地域の歴史を感じられる貴重な寺院です。
山号は桃源山で曹洞宗の寺院です。西美濃三十三霊場第三十番礼所となっています。
曹洞宗のお寺さんで境内にお地蔵さん、お稲荷さんが祀られています。
大垣市内のお寺を巡っていて、訪問しました。鐘楼門は目立ちますが、戦災に遭い、戦後の再建なので建物は新しい感じてわしたが、祠のみたらし地蔵の言い伝えが印象的でした。
御朱印は書き置きの物がありました。
大垣の御朱印巡りは何回か行ってますが、こちらは今回は初めてでした🙏🙏お忙しい中御朱印をして頂き、有難うございました🙏🙏津島の雲居寺さんのご住職との繋がりのあるご住職でした🙏🙏
全昌寺は岐阜県大垣市船町にある曹洞宗の寺院。戸田氏ゆかりの寺院として知られる。西美濃三十三霊場30番札所。戸田氏鉄の室、大誓院がその叔父の戸田甚五郎(法名、徳翁全昌)の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立したのを濫觴とする。戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたる。尼崎全昌寺の住職であった照岩文鏡が大垣全昌寺の開山となり、大垣鷹匠町に創建された。その後、慶安4年(1651年)に現在の船町の地に移転した。元禄元年(1688年)、時の大垣藩主戸田氏定より50俵を与えられている。元禄5年(1692年)、火災により灰燼に帰したが、5世住持の単伝清和の下で中興を果たした。その後も戸田氏の保護の下で東海の禅林として繁栄していたが、明治24年(1891年)の濃尾地震で壊滅的被害を受けた。明治29年(1896年)宗謙和尚が本堂と庫裏を再建した。しかしながら昭和20年(1945年)に大垣空襲によって再び伽藍が焼失してしまった。現在の堂宇はその後再建されたものである。小原鉄心(大垣藩士)の墓、全昌寺25世鴻雪爪(全昌寺25世)の墓が大垣市の史跡に指定されている。また、兆殿司作の十六羅漢図を所蔵する。
大垣市役所の南側に有ります。
桜が咲く時期で廻りは🌸祭りで華やいでいましたよ✨
自転車でぶらぶらしていたら 素敵なお寺を見つけました。変わった建物ですね。誰もいらっしゃらなかったのですが、「ご自由にお入りください」と張り紙が有ったので 入りました。徳川家康の姪(大誓院)が建立。新撰組隊仕 市村辰之助、鉄之助兄弟の墓が有ります。
名前 |
全昌寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0584-78-2983 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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西美濃三十三観音霊場 三十番札所 曹洞宗 聖観音菩薩。